PANORAMA STORIES

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」    Posted on 2022/03/27 辻 仁成 作家 パリ

 
ある愛のいびつな物語。

数年前の旅の想い出である。
その時、ぼくは離婚の直後で、愛について考えがまとまらなかった。だから、クリムトに会いに行くことにしたのだ。

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
生のクリムトの「接吻」をみたい。
その思いに突き動かされて、ぼくはベルヴェデーレ宮殿へと向かった。
ずいぶんと接吻から遠ざかったいる。
でも、それがどういうものだったか、思い出したかった。

大昔にも一度、クリムトに会いに行ったことがある。
その時は壁をオリジナルの色に塗り替える最中で入館できなかった。(業者さんが塗り替えた壁のペンキ番号を間違えたらしく、結局、その後、また塗り直されている)

ハプスブルク家に仕えたオイゲン公(プリンツ・オイゲン)が夏の離宮として造らせたベルヴェデーレ宮殿、その上宮が美術館になっているのだ。
庭園の斜面が美しい。
その突き当りに下宮がある。ぼくは何かを追いかけるような気持ちで、宮殿の門を潜った。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   



「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
クリムトが描く愛の終わりはつねにその絶頂から見ている終わりのような気がする。

とくに「接吻」には回避できない愛の終わりが描かれており、果てしなく切ない。
いや、ぼくは何一つクリムトに関しては知らなかったのだけれど、その絵がそう言えと言ってきた。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
「接吻」をはじめ、クリムトの代表作が2階に勢ぞろいであった。

とにかく、凄い。
100年の歳月が流れているというのに、その絵の生々しさといったらない。
いかなる表現を駆使しても、この素晴らしさの前では言葉はただの窮屈な額縁でしかない。

「自画像はないよ。自分のことには興味がない。他人のことばかりさ。女性にしか興味がないんだ。自分の仕事や作品について、語られた言葉や書かれた文字は、どうしても窮屈でね。手紙を認めるだけで船酔いを覚える。だから私について書かないでほしい。私に自画像を求めるのはもうやめてほしい」

クリムトの言葉である。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   



「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
生でみないと、写真では絶対にわからない、絵画の迫力というものがあるけれど、目視するクリムトの絵は他を寄せ付けないほどに生き生きとしている。

カラフルな色彩を突き破るように、そこにも無意識下のイメージがきちんと描かれてある。
平面なのに平面じゃなく、VRも3Dもない時代に、ぐんと浮き出るような広がりを持って迫ってくる。
空港の壁に貼られた写真でさえ、あれだけ感動するのだから、実物の迫力は想像を遥かに超えていた。

写真を撮ろうとしたら、監視員が飛んできて、「撮影禁止」と怒られちゃったよ。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

Gustav Klimt, Judith, 1901, Oil on canvas 84 x 42 cm, © Belvedere, Vienna



クリムトの家にはつねに裸婦モデルが同居しており、その数は多い時で10人以上。
そのほとんどと愛の関係にあったというのは有名な話。

その中でも27年間寄り添ったのが「接吻」のモデルとなったエミーリエ・フレーゲ。
もっともエミーリエはブティック経営で成功し、デザイナーとしてちゃんと自立していた。
 



「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
愛し合っている最中に、愛の終わりを考える人もいる。
愛というものは、失った時に、はじめてあのころは幸せだった、と気が付くものかもしれない。

クリムトの絵が多くの人に愛されるのは、そのことを包み隠さず描いているからであろうか・・・。
永遠の愛を誓うくせに、永遠の愛が非常に珍しいことを誰もが知ってる。
そのことを、画家は光りのもとにさらけ出した。
愛別離苦の悲しみをクリムトは無意識かどうか知らないけれど、あそこまで美しく描いちゃうのだから、みんなが絵の前で動けなくなってしまうのも無理はない。

なぜか、クリムトの描く絵のモデルさんたちは天上に頭が届きそうで、しかもちょっと首を曲げている。
棺桶が小さすぎて折り曲げられているような、どうやっても先が見えない世界にいるような・・・。
なのに、その表情はとってもエロティック、愛の悦びがあふれ出している。
とくにエミーリエの表情がいい。

クリムトの目に焼き付いていたのであろう、その瞬間の永遠・・・。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

Gustav Klimt, Kiss, 1908/1909, Oil on canvas 180 x 180 cm © Belvedere, Vienna



オーストリア・ハンガリー帝国崩壊前の退廃的な世紀末ウィーンでクリムトは個人的な愛の内部に人間の自由と創造性を探していた。
政治や社会に嫌気がさしたクリムトが面倒くさいものを一切放棄して、ただひたすら愛に筆先を求めたのは理解できる。
本当のことは知らないけれど・・・、だって勝手に想像するしかないんだもの、100年も前のことだし・・・。

面白いことに、クリムトの死後、彼がエミーリエに送ったすべての手紙は彼女の手によって焼却されてしまった。
その瞬間に消さなきゃって、彼女は思ったのだろう。
それを残すことで世間は喜ぶだろうが、クリムトは嫌がるってわかっていた。
クリムトは言葉の人じゃない、とエミーリエだけが知っていた。

二人は結婚することもなかった。でも、ずっと別れることもなかった。
愛人に囲まれたクリムトを許すというのではなく、エミーリエは、ただクリムトの中で生きた。
エミーリエとだけは肉体を超えたつながりがあった?

知らないけどね。笑。
 

「接吻は記憶の羽根。大好きなクリムトに会いに旅した時の想い出」   

 
死ぬ直前にクリムトが発した最期の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」だった。

「接吻」は崖の上でキスをするエミーリエとクリムトなんだとか。
本人たちが言ったかどうか、今をw生きるぼくにはわからない・・・。
ただ、つねに人は崖の上で生きている。愛する者との接吻は死の恐怖さえ忘れさせる。

ぼくはクリムトの絵が好きだ。
それだけはよく知っている。

Photography by Hitonari Tsuji (except the photos of the paintings)

 
 

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Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。