PANORAMA STORIES
I am calling you… 伝説のバーレスクダンサーに会いに。 Posted on 2018/08/15 エロチカ・バンブー バーレスクダンサー ベルリン
写真:グレートザ歌舞伎町
乾いた風の音と、熱い砂埃が青空を吹き抜ける暑い季節。 オールドルート66が走る閑散としたモハビ砂漠のど真ん中。映画バグダットカフェの、あの寂れたカフェがあった荒野の真ん中に、全米中のバーレスクダンサー達が集結した。ぺちゃんこの胸やら、風船のような丸い体の踊り子、過去に活躍したレジェンドと呼ばれる熟女をとうに通り越した麗しい女性たち。その彼女たちが年に一度、この世界で唯一のバーレスク博物館に集い、芸を競う。
私をそこへ導いてくれたのは赤毛のスカーレットだった。彼女は英語もろくにできないバーレスク一筋の私をこの旅に誘ってくれた。911の 年の秋、アメリカ行きの飛行機はがらがら。地平線を突き抜けるだだっ広いハイウェイ。乾いた空がとてつもなく広く高い。ネイティブ・アメリカンが走り抜けた荒野は今も変わらずそこにある。な〜んて気取って遠い目をし、味気の無いダイナーのコーヒーをすする。
ベガスから車で3時間。オールドルート66に入ると車の数はどっと減った。道路に大きく「ROUTE 66」と、まるでハンコを押したように書かれている。地図を広げて「WILD ROAD」という名前の道を探すが、どの道もワイルドロード!
写真:グレートザ歌舞伎町
まもなく、ビルもない、ましてや民家なども殆ど見えない荒野に、それは突然どーんと現れた。鉄で作られたゲイトには「EXOTIC WORLD」と書かれ、白いライオンがぽつりと座っている。ここがミュージアム? ゲイトから続く道を進むと、変哲のないアメリカの民家が見えてきた。白ペンキの剥がれた壁にはバーレスクスターの名前が書かれた数々の星が貼ってある。あのハリウッドの歩道に埋まっている星型をまねて。色褪せたピンクのグリッター付き。
ハロー。
誰も出てこない。暗い建物の中を覗いてみると、そこへ、毛玉の付いたセーターにキャップ、大きな分厚いレンズの眼鏡をかけた初老の男性が現れた。チャーリーだった。
写真:グレートザ歌舞伎町
若い頃、彼はベガスの歌手だった。このミュージアムの創設者でバーレスクスター、故ジェニー・リーの旦那さん。このミュージアムをジェニーの親友で同じく伝説のバーレスクダンサー、御年80歳のディクシー・エヴァンスと守っている。周りからはガンコで気難しい人だよって言われてたチャーリーだけど、彼は静かに、「はるばるよく来たね」と微笑みかけてくれた。「今、ディクシーは街に出ているが、直に帰ってくるよ。私が案内しましょう」
1920年代頃ショーで使われたバンドの譜面、豪華な衣装、大きな羽根の扇、ステージで使われた小道具などひとつひとつを丁寧に説明してくれる。砂漠の砂とホコリで薄汚れているけれど私には眩しすぎる宝物。チャーリーは一つ一つ丁寧に写真の踊り子の説明をしてくれた。少し自慢げに 「殆ど私が作ったんだよ」 と言いながら。
ほとんどの衣装は、年をとって現場を退いたダンサーが寄贈したものだけれど、そのスパンコールやラインストーンの古びた輝きは、時を超えてお客さんの喝采やダンサーの情熱、そしてその無名の踊り子さんたちの人生ドラマを語りだす。その中には、かのマリリンモンローのドレスもあった。
「ディクシーはバーレスク界のモンローって言われたからね。モンローとも交流があったんだ」
モンローはこんなに小さかったの? 今や値段が付けられないだろうその埃のかぶったドレスに触れてみる。
今は世界的にポピュラーになったバーレスク。下火になっては消え、また飽和状態になる。踊り子も流行りにのって増えたり減ったり。年や体型を気にしてやめていったり。私は結局19歳の頃からこの世界から離れられないでいる。
「そろそろ行きましょう。暗くなってべガスまで運転するのは怖いわ」 とスカーレット。肝心のディクシーはまだ街から戻ってこない。諦めて帰ろうとした時、ドアが開いた。
ドアの向こうから差す強い西日で顔が見えない。だけど、それは西日だけのせいではなく、突然止めどなく溢れ出る涙のせいでもあった。目の前に現れたディクシーが、こんな遥か彼方の、砂漠の真ん中でバーレスクを守っていてくれていたんだと思うと、感情が溢れ出て止まらない。独りぼっちじゃなかったんだ。当時、私は日本でたった一人のバーレスクダンサーだった。私はもう、英語がうまく話せないコンプレックスとか、日本だろうが海外だろうが関係なく、白髪になった彼女に会えたことと、このミュージアムに来れたことが幸せだった。
この時、この場所で年1回、若いダンサーからレジェンドと呼ばれるバーレスクダンサーまでが集結し交流を広げるコンテストが開かれるという事を知ったのだった。
いつか必ず戻ってくる。それまでお元気で、ディクシー。
帰り道、真っ赤に染まった空の下、終わりのないような長い貨物列車がゆっくり走り抜ける。時間が止まったような踏切。信号の音とカーラジオから流れるジョニ ー・キャッシュ。なぜ懐かしいの? 世界から叩かれているアメリカ。でも流行とは関係なく根付いたカルチャーだってある。世界はまだまだ広くて未知。
それから2年後の6月、私は再びこの場所に戻り、熱砂と共にバーレスク・クィーンの王冠をかっさらった。そして、私は世界のバーレスクムーブメントを作る一員となったのだった。
写真:グレートザ歌舞伎町
写真:グレートザ歌舞伎町
Make Tits Great Again.
※現在エキゾチックワールド・ミュージアムはラスベガスに移転し、Burlesque hall of Fameと名を変え、大きなソサエティになり毎年コンテストも開かれ続けています。
http://www.burlesquehall.com
Posted by エロチカ・バンブー
エロチカ・バンブー
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バーレスクダンサー。日本の各都市のクラブやキャバレーでショー活動した後、2003年にラスベガスにある世界で唯一のバーレスクミュージアム、Burlesque Hall of Fameで開かれるバーレスクの祭典で最優秀賞を獲得。それを機にLAに拠点を移す。2011年よりベルリンへ移りヨーロッパ、北欧で活動中。ドイツのキャバレー音楽ショー”Let’s Burlesque”のメンバーとしてドイツ各地をツアー中。