PANORAMA STORIES

ベオグラードのMINAMATA Posted on 2021/10/07 エロチカ・バンブー バーレスクダンサー ベルリン

本来、ちょうどコロナが流行り始めた頃に上映予定だったジョニーデップ氏主演、報道写真家ユージン・スミスをテーマにした映画『MINAMATA–ミナマタ−』。2021年9月、やっと公開になりました。

この機を、今か今かと待ち焦がれていたのは、映画関係者だけではありません。この映画の為にヨーロッパ中からかき集められた約100人程の日本人エキストラも同じ気持ちでした。

だいたいヨーロッパ在住で、平日にセルビアの首都、ベオグラードまで行ける日本人って一体どんな人たち?

広いヨーロッパ各地に住んでいる日本人が一堂に集まる機会なんて滅多にありません。 エキストラ募集の話があったのは撮影数週間前。どんな映画かも知らず、ただジョニーデップ氏が出演する映画らしいという情報だけ。とりあえず、私も写真とビデオを送りました。

ベオグラードのMINAMATA



そして、ベルリンからミュンヘン経由でベオグラードへ。旅慣れてはいるものの久々に入国時に少し緊張したのは、イミグレーションのオフィサーの雰囲気が何か金属の甲冑を纏っているかのような硬い雰囲気に包まれていたから。妙な緊張感がありました。

ちょうどイタリアから来られた穏やかな日本人男性二人と一緒になり、迎えのスタッ フの車に乗って、メークや衣装合わせをするベースキャンプへ向かいました。
イタリアから来られた日本人の一人はフォトグラファー、もう一人は彫刻家でした。車窓から見えるべオグラードの街は、まだ痛々しい内戦の傷跡が残り、どことなく寂しいものの、2月の澄みわたる青い空は印象的でした。

ベオグラードのMINAMATA

私たちの役は、水俣病被害者家族や漁民。エキストラ専用のテントで久々に多くの日本人達と顔を合わせました。
この日はメークと衣装のチェックで解散となり、各自ホテルへ。
翌日まだ暗い早朝4時、衣装に着替えメークをベースキャンプで済ませ、そこから撮影現場までバスで向かいました。
全員が仕上がるまでの間、ここに集められた日本の人たちを眺めながら、薄いコーヒーを飲みました。

なぜ彼らはヨーロッパに住んでいるのだろう。

ベオグラードのMINAMATA

地球カレッジ

ロケ現場は巨大な煙突が突き出る工場。そこで私たちは簡単な説明を受けました。そこに真田広之さんが登場し演技指導。

「フィルムに皆さんの思いを焼き付けて本気で望んで下さい」と指示が出ました。真田さんは私たち被害者住民側のリーダー。チッソ工場の門の前で抗議し、その後ろに私たちが続きます。

本番。真田さんの迫真の熱い抗議に、いつの間にか私たちはその時代にタイムトリップしていました。子供や親を奪われた方々の悲しみや漁民の怒りが体にがぐわっと入ってきて、涙が止まらなくなりました。セリフの中の津奈木という町の名前を聞いた時には、より切なさが増しました。

この撮影の2年前、私はたまたま津奈木の裸島を訪れていたのです。その時に出会った町の方々の優しさや暖かさ、海沿いのホテルから見える限りなく青く静かに広がる海。津奈木は、悲しい歴史を背負う、美しい町だと気付かされました。

ベオグラードのMINAMATA



工場前の冷たい地べたに座り込む私たち。キーンと冷たい空の下、リーダーの力強い眼差しと決意の言葉が私たちに投げかけられます。
そこはもう、ベオグラードではなく昭和31年の日本の水俣の窒素工場前でした。撮影から2年も経つのに、今この文章を書きながら当時を思い出すだけで涙が溢れ出てきます。

静かに登場したジョニーデップ氏はユージン・スミス、そのものでした。聞こえるか聞こえないか、小さな声で監督と話す彼の背中。同世代なのに私には想像もつかない世界で生きてきた人の背中。

抗議する私たちに投げ込まれる発煙筒の煙でむせ込みながら「責任を果たせ! 責任を果たせ! 責任を果たせ!」と団結してゲートに迫りながら絶叫する私たちに、ユージン・スミスは怒りの瞬間を焼き付けるよう迫り、シャッターを切り続けます。
私の口からは自然と「息子を返せー!」と言葉が飛び出してきました。

ベオグラードのMINAMATA

エキストラの中には、水俣まで行ってお話を伺ってきた人、ユージン・スミスの写真集を持参された人もいました。
その写真集には現実が収められていました。お母さんが水俣病の息子さんを抱きかかえ、お風呂に浸かり観音様のような眼差しで息子を見つめる写真。

ほぼぶっつけ本番で2日間カットなし。監督を始め現場のスタッフからお褒めの言葉を頂きました。実は監督が自らエキストラを選んだということを、彼のインタビュー記事で最近知りました。だからなのか、映画も力作ながらエキストラの私たちも不思議な団結力で現場は熱い空気に包まれていたのです。

ベオグラードのMINAMATA

ベオグラードのMINAMATA



バーレスクダンスで鍛えたおかげで、着物は着ているものの腰をむんずと
据えて大股びらきになり煙の下で、転げそうになるところ、ユージンが私の腕を掴みました。一瞬、『わ! ジョニーさま!』と思ったけれど、しかしここは演技! エキストラ魂!
「息子をかえせー!」と叫び続けたのでした。

エキストラの人たちは、普段はフォトグラファー、柔道家、アーティスト、女優、ジャーナリスト、オートレーサー、刺青の彫り師、オペラ歌手などなど、みんな個性豊かな人達。珍しく某企業の社長さんも参加されておりました。
撮影後、私たちエキストラはまたヨーロッパ各地に散らばって行きました。ほんの数日だったけれど、ベオグラードにできた水俣、それは忘れがたい経験でした。

「この映画は日本で起こった話だけど、同様の事件は他の国でも起こっており、世界にメッセージを発信する為に作った」とは、監督の言葉。
世界が、一人一人が生み出す思いや芸術で美しい方向へ向かいますように。祈りを込めて。

ベオグラードのMINAMATA

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Posted by エロチカ・バンブー

エロチカ・バンブー

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Erochica Bamboo
バーレスクダンサー。日本の各都市のクラブやキャバレーでショー活動した後、2003年にラスベガスにある世界で唯一のバーレスクミュージアム、Burlesque Hall of Fameで開かれるバーレスクの祭典で最優秀賞を獲得。それを機にLAに拠点を移す。2011年よりベルリンへ移りヨーロッパ、北欧で活動中。ドイツのキャバレー音楽ショー”Let’s Burlesque”のメンバーとしてドイツ各地をツアー中。