PANORAMA STORIES
音楽をめぐる欧州旅「エリック・サティとモンマルトル」 Posted on 2023/05/10 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン
パリの北、18区に位置するモンマルトルは、パリを旅したら訪れてみたいと思う場所の一つだろう。
市内で一番高い丘の上に建つサクレ・クール寺院からは、パリの街を一望できる。
モンマルトルは、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、パリならではの大衆文化が花開いたところ。
今もなお伝説のキャバレー、ムーラン・ルージュや、ピカソやユトリロも通ったカフェやシャンソニエが残り、画家たちがひしめき合うテルトル広場など、ノスタルジックなパリの風情がギュっと詰まっている。
私もモンマルトルへは何度も出かけた。
街角に響くアコーディオンの《バラ色の人生/La vie en rose》に耳を傾けたり、サクレ・クール前の広場に腰掛け、友人とおにぎりを頬張ったこともある。
大学都市の学生寮の共同キッチンの鍋で炊いた、ちょっと硬めの塩むすびが、自由の風吹くモンマルトルの空の下では格別に美味しかった。
そのモンマルトルの丘の上に、作曲家エリック・サティが、かつて暮らした家がある。
サティは、モンマルトルを愛し、この街に生きた音楽家だった。
パリでは金銭的な理由で何度か引っ越しをし、部屋はそのたびに質素で狭くなった。
この家にある6畳に満たない空間が、彼がモンマルトルで最後に住んだところ。
簡易ベッドを広げると、もはや扉が開かないほど狭いその部屋を、サティはいかにも彼らしく、「押入れ/placard」と渾名した。
※コルトー通り6番地に掲げられている記念プレート。2008年までは博物館だったが現在
は閉鎖。プレートの書体は、サティ自筆のカリグラフィを再現したもの。
サティがモンマルトルにやってきたのは、二十歳を過ぎた頃。
モンマルトルの伝説的な文芸キャバレー「ル・シャ・ノワール/Le Chat noir;黒猫」に出入りして専属ピアニストとなり、音楽家としての人生をスタートさせたのだ。
よく知られる名曲《ジムノペディ》が生まれたのは、ちょうどこの時代のこと。
※ル・シャ・ノワールのポスター。サタンラン作『ルドルフ・サリスの「ル・シャ・ノワ
ール」の巡業』
今やパリを象徴するこの作曲家の音楽は親しみやすいけれど、時に皮肉に満ちていて、時に難解とも言われる。
実生活でのサティは生涯独身で、小さな頃から自分の存在意義に疑問を持ち続けていたという。
サティは、1866年にノルマンディーの港町オンフルールで、フランス人の父とイギリス人の母のもとに生まれた。
やがて家族とパリで暮らし始めたが、6歳で母が亡くなると、オンフルールの祖父母に引き取られた。
そして祖母が亡くなると12歳でパリへと戻り、父や継母と暮らすことになる。
パリとノルマンディーを往復する生活の中で思春期のサティは多くのトラブルを抱えた。
祖父母に同居を拒まれたり、継母とは折り合いが悪かったり、小さなサティの心は、おそらく休まる暇がなかっただろう。
その後、ピアノ教師だった継母の勧めで、パリ国立高等音楽院に学んだが、才能を否定されたうえ除籍されてしまう。
今度は逃げるように兵役へ行ったが馴染めず、除隊となるよう自ら病気に罹ったりもした。
※ル・シャ・ノワール店内の様子
そんなサティがパリでようやく見つけた自分の居場所。それが、モンマルトルだった。
モンマルトルで、サティはとにかくピアノを奏で、曲を書いた。
カフェやキャバレーでは、ピカソやドビュッシーなど時代の寵児たちとも語り合った。
遅咲きの作曲家エリック・サティの才が日の目を見るのは、40代半ばになってから。
ラヴェルや若手作曲家たちの評価によって、ようやく表舞台での活動が始まる。
長い下積みに加え、普段から必要以上の報酬を求めなかったサティの暮らしは、決して豊かではなかったが、時代の遥か先を行く誇り高き心を持って、彼はこの街を闊歩したに違いない。
ところで、この街を歩くサティは、どんな装いをしていたか皆さん想像できますか?
音楽同様、生活に虚飾を嫌った彼ですが、服装には強いこだわりを持っていたことで知られています。
モンマルトルで音楽家となった当初は、フォーマルなフロックコートに帽子、乱れた長髪に髭というのがお決まり。
「道楽者」と揶揄されたその姿、なんとなくイメージが湧きますね。
一方、20代後半の2年ほどは、まるで司祭のような装いをしていたとか。
思いがけずお金を手にした30歳の頃には、かつてパリにあった世界最古のデパート「ベル・ジャルディニエール」へ飛んでいき、灰褐色のビロードのスーツを7着もオーダーしたそう。
しばらくすると今度は、ボーラーハットに杖、白シャツとネクタイという重厚感のある英国スタイルのスリー・ピースに身を包んだのだとか。
どうですか?どのサティにも会ってみたいでしょう?
多くの芸術家に愛され、今もアートが息をしていると感じる場所、パリ、モンマルトル。
その坂道や古い石畳みを歩けば、この街に生きたサティの息づかいも不思議と聞こえてくる。
ちょっと旅疲れた時には、この場所のために書かれた彼の《ピカデリー》を陽気に口ずさんでみたい。
確かな自分の目で、いつもその先を見つめていた彼のマーチは、私たちの足取りをきっとずっと軽やかにしてくれるはずだ。
Posted by 中村ゆかり
中村ゆかり
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専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。