PANORAMA STORIES

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記 Posted on 2018/07/04 川合 英介 建築士 ミュンヘン

飛行機は着陸態勢に入り、機体を急激に傾ける。それまで空しか見えていなかった窓の外に、突然、海と島が現れた。その中に、異彩を放つ幾何学的な褐色の塊。それが、かつての要塞都市、ヴァレッタであった。ミュンヘンから二時間の飛行の終わり、地中海に浮かぶ岩盤の島マルタ、その首都であるヴァレッタは、褐色の石で造られた褐色の都市だった。
私たちは、空港からバスで一時間ほど北にある湾の、海沿いにアパートを借りた。一帯は樹木の乏しい痩せた土地だった。崖がいたるところに聳えたち、その上に、視界を求めるように建物が密集している。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

磯は生物で溢れていた。海のないミュンヘンの夏は湖に泳ぎに行くことが多い。しかし、今回は海。湖岸とは全く異なる生物たちを見て、次男は歓声を挙げた。大型の蟹、透明なエビ、活き活きとした緑の海草、小魚の大群。そんな生き物達を波打ち際で追っかけまわす十日間の休暇が始まった。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

マルタは、かつてキリスト教ヨーロッパ世界がイスラム世界と対峙する場所であった。十六世紀半ば、オスマン・トルコ軍に包囲された聖ヨハネ騎士団はマルタを死守。その後の襲撃に備え、要塞は逐次増築された。首都ヴァレッタはかつての要塞で、現在も都市壁と壕に囲まれている。この街のメインゲートと壕の上に架かった橋は、パリ、ポンピドゥーセンターの設計者としても有名な建築家、レンゾ・ピアノ氏が計画している。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

ヴァレッタの先端、セントエルモ砦の近くで、都市壁外側の海岸へ下りてみた。そこには無造作に積み重ねられたように船の格納庫や倉庫が建っていた。中を覗くと、おそらく後から設置されたキッチンや食卓があり、寝泊りもできる簡易住居になっている。その間を、迷路のように細い階段と通路が結びつけ、とても魅力的な空間だった。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

この辺り一帯が、オスマン・トルコ軍と聖ヨハネ騎士団の激戦地だった。セントエルモ砦がほとんど陥落しようとしている時、私達が宿泊したアパートのある北の湾に、シチリア島から増援部隊が到着し、騎士団はかろうじてマルタを防衛することができた。目の前に広がる海は、かつて二つの文明がここで衝突したことなど嘘のように穏やかであった。小船が息子たちの視線の先をのほほんと通り過ぎていった。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

休暇も半ばを過ぎた頃、アパート前の湾にて長男とシュノーケリングを愉しんでいると、二メートルほど離れたところに、透明な生物が浮遊しているのを発見。長男は血相を変え、水しぶきを上げて陸に逃げ帰る。気を取り直し、今度はママとシュノーケリングしていた彼は、ピンク色のカラフルなクラゲと至近距離で遭遇。再び慌てふためいて引き返してきた。ママは長男のパニックに気づくことなく、クラゲの攻撃を浴びてしまった。痛々しくミミズバレした傷は息子たちのトラウマになったようだった。クラゲとの攻防に敗れた彼らは、その後、海に入ることはなかった。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

ある夜、我々は浜辺へと散歩に出かけた。砂浜は闇に包まれていた。星と湾の対岸の斜面に広がる街の明かりがぼんやりと浮かんでいる。砂は柔らかく、足を呑み込む。波の音はとぎれることなく、闇と混ざり合う。
波打ち際で、はしゃぎまわる子供達と妻の声が響く。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

その声はまるで止まることをやめた波のように私の体の中に打ち寄せ、反響を繰り返し、やがて透き通る水色の小さな塊になった。

こんな風に、様々な場所で生まれた多様な色の集まりがすなわち私で、毎日の生活に疲れたりするとマルタ色のため息を小さく吐いたりするのだった。
 

マルタ、海と陸がぶつかる場所でのささやかな攻防記

 
 

Posted by 川合 英介

川合 英介

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Eisuke Kawai
建築士。静岡県出身。2003年交換留学生として渡独。以来、ミュンヘン在住。ミュンヘン工科大学にて「都市壁撤去後の都市境界形成」について博士論文を執筆、博士号取得。現在、建築士として設計事務所に勤務。住宅、幼稚園、事務所、集合住宅の新築、改修、増築プロジェクトを担当。パティシエの妻、二人の息子とバイエルン生活をドタバタとエンジョイ中。