PANORAMA STORIES
こんな時代でも、エッフェル塔は輝き続ける Posted on 2020/04/03 辻 仁成 作家 パリ
渡仏18年。
思えば、いつも顔を上げると、遠くにエッフェル塔があった。
人口200万人の小さな首都パリ、
市内どこからでも、建物の上に登ればエッフェル塔を見つけることが出来る。
ぼくのアパルトマンからは見えないけれど、
建物の最上階にある隣人の
屋根裏部屋の窓からは見ることが出来る。
時々、ぼくはそこから見つめている。
まさかこの世界がこんなことになるだなんて、
想像さえできない事態がおきた
そして、エッフェルさんは灯りを消した
あの日、様々な制限が出たその夜から、、、
あなたは暗くなった。
あのシャンパンフラッシュももう暫くの間、見ることが出来ない。
もっとも外出制限下のパリなので、
ぼくは夜出歩くことも出来ないけれど
しかし、あなたはこんな時だからこそ、
自分が立ち上がらなければ、と奮起することになる。
それが自分の役目だと気力を振り絞った
いつまでも暗くなっていてはいけない
この瞬間にも大勢の人の命を救うために、
医療従事者の皆さんが死力を尽くしている。
そして、エッフェルさん、あなたは
3月27日より、再び光りをふりしぼるようになった。
20時になると、あなたは横原に
MERCI
と輝く文字を浮かび上がらせたのだ。
日々命がけで頑張っている医療従事者へ向けた感謝の言葉であった。
パリ市民を代表してあなたが送るメッセージが、医療従事者に限らず、多くの人々を勇気づけている
20時半からは
「家にいよう」
とフランス語でメッセージが灯される
あなたの優しさがこの希望の少ない時代の
希望でもある。
そして、ぼくはあの日を思い出す
あの日、ぼくは俯いて生きていた
するとあなたがそこに凛々しく聳えていた
懐古する
セーヌ川のほとりをよく歩いた
立ち止まると対岸に聳えるあなたが
ぼくは流れゆく時間を忘れて見つめたものだ
悩んだときも、困ったときも、息子が生まれたときにも、何かあるといつもじっとエッフェル塔を見上げてきた。
すると不思議なことに元気になった。
思うに、どんな時代であろうと、ずっと、
エッフェル塔はみんなに愛され続けている。
みんなを見下ろし微笑んでいる。
あの頃、
眠れない夜、ぼくはエッフェル塔の下まで散歩した。
胸が張り裂けそうになると、キラキラ輝くエッフェルさんを見上げて涙をぬぐった。
そうだ、エッフェルさん。あなたに何度も救われてきた。
月があなたに寄り添うように、ぼくもあなたに寄り添っていた。
誰にも相談できないとき、エッフェル塔の下まで行った。
エッフェル塔の下には同じような思いの人々が世界中から集めっていた。
そして、聳えるあなたを見上げていた。
エッフェルさん。その凛々しい立ち姿にぼくたちは勇気づけられてきたのです。
ぼくも足を開き、手を空に向かって伸ばし、ポーズをまねる。
息子と二人、芝生に立ってやったエッフェルさんごっこ。
ああ、懐かしい。あの子はすでに16歳。
いったいなぜ人はこの塔を愛してやまないのだろう。なぜぼくはエッフェル塔がかくも好きなのか。
ローブのようなライン、もしかするとあなたは女?
そうだ、エッフェル塔は女性名詞であった。マダム・エッフェル!
そうか、ぼくはエッフェル塔に恋をしていたのだ。
エッフェル塔のたもとで結婚をする人が絶えないのはそういうことだろう。
エッフェル塔に向かって愛を誓うとその愛が永遠になるという。
(ぼくが作った伝説です)
渡仏18年。
気が付けば、ぼくよりも背が高くなった息子。ぼくはその息子と二人、この街で逞しく生きている。
ぼくたちは何度もエッフェル塔を見上げた。
苦しいときも、悲しいときも、寂しいときも、幸せなときも、コロナウイルスに打ちのめされているこのような時代であろうと、
人々はエッフェル塔に救い求めている。
マダム・エッフェルは裏切らない。
そこにエッフェルさんがいる。彼女は母のようなやさしさでぼくたちを見下ろしている。
いや、世界中の人たちを毎日やさしく見守っているのだ。
ありがとう。エッフェルさん。世界が再び、平和になりますように、そして、あなたのシャンパンフラッシュで世界中の人たちを再び幸せにしてほしい。
ぼくは遠くから見つめています。
幸福な時代が戻ってきますように。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。