PANORAMA STORIES
三四郎日記「吾輩は犬である。生まれてはじめての海であった」 Posted on 2022/02/15 三四郎 天使 パリ
吾輩は犬である。今日、生まれてはじめて「海」なるものと出会った。
ムッシュが笑顔で、
「三四郎、海に行くぞ。海だ、わかるか、海は広いぞ大きいぞ」
と言ったのだけど、最初は、なんのことか分からなかった。
ぼくはムッシュの田舎の家で一晩、不安な夜を過ごした。
というのは、風がすごくて、家が壊れるのじゃないか、というくらい吹き付けてきて、激しく、恐ろしく、怖い音をたてるし、ムッシュは自分の部屋で寝ちゃうし、建物には他に住人が誰もいないみたいだから、パリとは違って、ぼくが吠えてもムッシュは無視するし、ガタガタ、ゴトゴト、ゴーゴー、そこら中がうるさいし・・・。
ところが、明け方、この風が不意に止まって、次に目を覚ました時、天井にある窓から明るい陽射しが差し込んでいて、その光にぼくは包まれるように、起こされることになる。
ムッシュが起きてきて、三四郎、今日は海に行くぞ、と笑顔で言った。
ムッシュは楽しそうだった。でも、ぼくは不安だった。
「海」さんがどんな人か、或いは、どういう存在かわからなかったからだ。
ムッシュに抱かれて坂道を降り、途中からぼくは歩かされ、小さな村を横切って、「海」なるものへと近づいて行った。
「三四郎、もうすぐだ。ほら、海の匂いがしてきただろ?」
細い道の両脇に、もの凄く古い建物が聳えており、パリのとはぜんぜん異なる不思議な光景が広がり、そして、変な味のする風が吹き抜けていった。
そして、白い大きな鳥、それはカラスとか鳩ではなくって、奇妙な鳴き声を発しながら、上空をかなり低く飛んでいった。
「あれはカモメだ。見ろ。カモメだよ」
ぼくにはムッシュの話す日本語がだんだんと分かるようになっていた。
言葉が分かる、という意味ではなく、通じる感じ・・・。
こういう気持ちって、分かってもらえるだろうか?
理屈を超えて通じ合う感じとでもいうのかな。とにかく、ムッシュがぼくに発する言葉をぼくはある時から不意に理解することが出来るようになった。
でも、「海」については分からない。分からない言葉は意味としてぼくの頭に残らず、ある種の期待だけをそこに焼き付けて、流れていくのだ。
「三四郎、カモメは海のそばにはたくさんいる」
大きな鳥だった。
ぼくの何倍も大きな鳥で、翼を広げて風に乗って舞う。
その飛び方はカラスや鳩や雀とは全く異なる。
ぼくはなぜかわからないけれど、カモメと仲良くはなれない気がした。
小道を抜けると、青空が広がっていた。
青空の下に広がるのは、土ではない、奇妙な、つまり、見たことのない地面だった。
「これは砂だ。わかるか? 砂。この広い砂の土地を砂浜というんだ」
ムッシュが指さした場所は眩かった。ぼくがよく知っている土は真っ黒で湿っていて、ほら、ぼくが生まれた犬の園のあの泥の庭だけだった。
同じ土なのに、この砂浜はさらさらしていて、光っている・・・。なんて、綺麗なんだろう・・・。
ぼくはうれしくなって、走り出した。
「おい、待てよ。三四郎! どうしたんだ? おい!」
ムッシュがリードを引っ張ったけれど、ぼくにも分からない。
とにかく、嬉しくなって、ぼくは砂の上で転がったり、必死で走ったり、それを、つまり砂を食べてみたりもした。
「ダメだ、三四郎、それは食べるものじゃないよ」
ムッシュがリードを引っ張った。ぼくはジャンプした。その時、ぼくの視界にもの凄いものが飛び込んできた。
砂浜の先に、蠢くもっと深い青が広がっていて、それはこっちを目指してやって来る。
「三四郎、ほら、海だ」
ぼくはびっくりして、逃げ出した。食べられてしまう、と思ったからだ。
でも、ムッシュは逃げようとするぼくを捕まえ、抱きかかえて、その海の方へと歩きだした。
キラキラと輝く光が眩かった。
こちらへ向かって、海が近づいてくるのだけど、でも、近づいてきたかと思ったら遠ざかる不思議な生き物でもあった。そうだ、巨大な生き物だ。
「三四郎、あれは波というんだ。ほら、白いのが打ち寄せてくるだろ? あれは波だ」
波というのは海の手のようなものだ、とぼくは気が付いた。
最初は怖かったけれど、ある種のリズミカルな流れが美しく、次第に、じわじわと、その打ち寄せる手先を見ていると、優しい気持ちになっていくのだった。
ぼくが落ち着くまでムッシュはぼくを抱っこしたままだったし、ムッシュがずっと笑っていたので、海は優しい存在なのだ、とようやく気が付くことになる。
「三四郎、生き物は海からやってきた。だから、ぼくとお前はこの海で繋がっているんだよ」
そうか、だから、ぼくはこんなに大きな音がしているのに、怖くないんだ・・・。
ムッシュがぼくを砂の上に下ろしてくれた。
ぼくは嬉しくなって、今度は波に向かって走り出した。ムッシュがリードを引っ張った。
「サンシー」
ムッシュが叫んだ。ぼくは激しく興奮していた。
打ち寄せる波はぼくを手招きしていた。
「サンシー、どこへ行くんだ!」
ぼくは海に抱かれたかった。海がぼくを呼んでいるのが分かった。
でも、ムッシュはぼくの思い通りにはさせてくれなかった。
だから、ぼくは砂の中で転がり、起き上がってはまた転がり、ムッシュの周りをリードのせいでぐるぐると何回も周って、海の匂いやしょっぱい砂を舐めたのだった。
長いことぼくはムッシュと砂浜にいた。
ムッシュは砂に腰を下ろし、ぼくのリードを握りしめていた。
「そんなに好きなら、また、明日も来よう」
ムッシュがぼくを抱きしめて、ぼくの耳元でそう囁いた。
海の匂い、しょっぱさ、海の温かさ、海の厳しさ、海の偉大さ、海のすべてがぼくを包み込んで離さなかった。
つづく。
はい、そして、ぼくも出演するテレビ番組についてのお知らせだよ。
『ボンジュール!辻仁成の冬のパリごはん』の放送時間は以下なんだって。
【BSP】2月23日(水・祝)21時51分~22時50分
そして、ぼくがやってくる前のムッシュの生活を記した『ボンジュール!辻仁成の秋のパリごはん』がまた放送されるんだって。ぼくはパリジャンだから観ることが出来ないけどね。
【BSP】2月19日(土)8時45分〜9時44分
https://www.nhk.jp/p/ts/6XW8NZ748V/schedule/
そして、ムッシュの文章教室。ぼくも参加するよ。下の地球カレッジのバナーをクリックくださいね。わんわん♪
Posted by 三四郎
三四郎
▷記事一覧2021年9月24日生まれ。ミニチュアダックスフント♂。ど田舎からパリの辻家にやってきた。趣味はボール遊び。車に乗るのがちょっと苦手。