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謎めいた平和の儀式「偽りの出発」 Posted on 2017/10/24 オリオラ 自由業 西アフリカ

ブルキナファソの中心部は19世紀末にフランスの植民地になるまではモシ王国という国でした。モシ王すなわち「モーゴ・ナーバ」はブルキナファソ独立後も継承されており、現バオンゴ王は初代ズングラナ王から数えて37代目に当たり、2018年1月で即位35周年を迎えます。
 

謎めいた平和の儀式「偽りの出発」

さて、このモーゴ・ナーバの宮殿の西側に隣接した広場では、「偽りの出発」という伝統的儀式が、毎週金曜日の朝6時半ないし7時半ごろから執り行われています。第22代ワルガ王(1666~1681の治世)から始まった儀式ですが、それには次のような逸話が伝わっています。

昔、ヤテンガという地方からヤコ地方にやって来た侵略者から臣民たちを守るために、ワルガ王がヤコ地方に出発した時のことです。王の留守中、ウブリテンガという地方にあった彼の宮殿が別の敵に攻められてしまいました。
王宮で留守をしていたワルガ王の妃たちは恐怖に襲われ、何人かはそれぞれの実家に戻ってしまいますが、最愛の妃も例外ではなく、ヤコ地方ラーにある実家に避難してしまいました。ウブリテンガに帰還したワルガ王は最愛の妃を迎えに行こうと、再び馬に鞍をつけて彼女のもとに駆けつけようとします。
ワルガ王が馬に乗ろうとしたその時、家臣たちが駆け寄ってきて、王の再度の不在が引き起こすであろう災厄を列挙し、王に出かけないよう懇願しました。王は家臣たちの説得に頷き、ラーには迎えの使者を派遣することにしました。
以来、それまで戦時しか開かれていなかった国事に関する会議を、毎朝開催する習慣ができました。王が家臣の言うことに耳を傾けるようにもなりました。その結果、モシ王国は敵からの侵略を免れ、平和が訪れたということです。
「偽りの出発」はそのようなワルガ王時代の言い伝えを儀式化したものなのです。

儀式の行われるという広場は「サマンデ」と呼ばれ、半径50メートルほどの半円形をしています。周りをニエミという木に囲まれています。また王宮のすぐ近くには昔の王宮を模したゾンゴという立面体の小さな建物があります。
 

謎めいた平和の儀式「偽りの出発」

そのサマンデには3つの重要なスポットがあります。

1つめは、ゾンゴの西側にある「ギエレ」と呼ばれる直径2~3メートル、高さ50センチメートルほどのこんもりした盛り土です。

2つめは、北西の隅にある、曲がった木の柱にムシロをかぶせただけの「ベンダ・ザンデ」と呼ばれる粗末な小屋です。そこには太鼓の奏者とグリオと呼ばれる王の系譜を歌う歌手が控えています。

3つめは、「トム・ボコ」と呼ばれる場所で、ベンダ・ザンデのすぐ近くにあります。その場所に置いてある灰は、新たに任命された首長の頭にふりかけるためのものです。
 
 
私はモーゴ・ナーバの大臣の一人と親しくしていましたので、彼を通じて王さまへの謁見をお願いしました。当日、彼から謁見の前に伝統的な儀式があると聞き、それを見学させてもらうことにしました。
私がその日の早朝にサマンデに行くと、予め伝えられていたのか、すぐにニエミの木々の内側に案内され、近くから儀式を見学することを許されました。
暫くすると次々にボンネットをつけた首長や公証人たちが車や自転車でやって来て、広場の所定の位置に座りました。
吟唱歌人グリオたちもベンダ・ザンデの中に集まります。公証人たちは王が出て来る東を向いて座ります。一方、楽士たちと衛兵たちは王宮の壁にそって整列します。
しばらく間を置いて大臣たちが登場し、私の立っている場所から10メートルほど前方にある所定の位置に置かれた石の後ろに座ります。すると太鼓による王家の系譜が奏でられ
はじめます。
その音楽を合図に、モーゴ・ナーバがゆっくりとゾンゴの南門から出てきて、門の近くの地面に置かれた赤い牛革のクッションの上に座り、手に持った赤鞘の剣を傍らに置きます。彼は大きな赤いマントを身につけ、同じ色の帽子をかぶっています。
 

謎めいた平和の儀式「偽りの出発」

ギエレの上には鞍が置かれています。そして一頭の馬が広場に導かれます。華麗な飾りをつけた四白流星の立派な馬でした。鞍や馬具が取りつけられていますが、腹帯は締められていません。
馬具がゆるく取りつけられたその馬は、王から数メートルのところに停止します。
すると儀典を司る大臣カムソギ・ナーバによって王に陶器の破片が献呈されます。後で知ったのですが、その陶器片の上には、前日の夕方に非公開の場で燃焼された王の食べ残しの灰がのっているそうです。しかし、王が一瞥すると、陶器片はすぐに王のそばの地面に置かれます。
右手の方から家臣たちの一団が王に近づき、肘を地面につけたまま、前腕を高く挙げる「カンティ・ベーダ」と呼ばれる仕草で挨拶し、王さまに敬意を払います。その挨拶が終わると、家臣たちは所定の位置に戻ります。次に別の一団が王の左手から同様に挨拶をします。
その後、王国の中枢の大臣であるウイディ・ナーバ、ラーレ・ナーバ、グンガ・ナーバ、カムソギ・ナーバと彼らの従者たちが王に近づいて、しかし十分な距離を保って、カンティ・ベーダの姿勢で挨拶をし、石の後ろの所定の位置に戻ります。
結局、王は馬に乗らず、馬だけがギエレまで連れていかれ、そこで鞍を外されると、耳をつんざく様な鉄砲の音とともに、馬は馬丁に手綱を引かれて広場の外に走り去ります。
大砲の音かとも思えるその大音響は、何度聞いてもびっくりさせられるものです。
その後、王は出てきたのと同じ南の横手門からゾンゴに入ります。カムソギ・ナーバは陶器片を手に取り、王が座っていた囲い塀の下にこしらえた穴に片づけます。
しばらくすると王が再び登場しますが、今度は白い衣装に身を包んでいます。先に着ていた赤い衣装は戦さの象徴で、白い衣装は平和の象徴なのだそうです。
王は赤い布に覆われた「ナグ・プーレ」という厚いクッションの上に座ります。家臣たちが再度王に挨拶に行きますが、今度の場合は前腕を軽く挙げる挨拶にとどめます。
再び系譜を語る太鼓の音とともに王は王宮に入って行きました。

この平和の儀式はそこで終わります。非常に象徴的な儀式で、正直、その最初の見学の際は、何が行われたのか私はまったく理解できませんでした。鉄砲の音と馬の走り去る姿以外、淡々と終わったような印象さえ受けました。まるで無言劇あるいは夢幻劇を見ているようでした。
 

謎めいた平和の儀式「偽りの出発」

余談になりますが、この儀式は、毎週行われていながら、厳しく撮影が禁止されているため、外国にはあまり知られていません。私も儀式の行われていない日にサマンデ広場の写真を撮ろうと車の中からカメラを構えた瞬間に、どこからともなく人がやって来て、撮らないように注意をされたくらいです。近隣の人たちみんなが監視員かと思えるほどでした。

ここに掲載した写真は随分遠くから写したものです。
ここに書いたことは、記憶を頼りに書いていますので、不正確な描写があるかもしれませんが、ご容赦願います。
 

 
 

Posted by オリオラ

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Auriola
商社員、外交官を経て現在、自由業。