PANORAMA STORIES
安全を心がけよう。仰天! 西アフリカの道路事情20選 Posted on 2017/08/02 オリオラ 自由業 西アフリカ
数年前、ブルキナファソの首都ワガドゥグーからユネスコ世界遺産のあるロロペニまで車で走行した時のことです。430キロの道のりを約3時間、つまり平均時速140キロで移動しました。しかし、それは国会議長の車列に入り、白バイの先導があったから可能だったのです。普通に旅行する場合にはやはり慎重な運転が必要なのは言うまでもありません。
話はそれますが、実際、ブルキナファソ国内をあちらこちら訪れましたが、道路に大きな穴があいていて、注意しないと、その穴につまずき、思わぬ事故に巻き込まれる恐れがあります。
多い交通事故
スピードを出しすぎたのか、道すがらトラックが荷物を放り出して横転している事故現場に何度となく遭遇しました。大型トラックが横転して、積んでいた荷物が路上に散らばり、道路が遮断されていることがあります。
ブルドーザーがトレーラーの荷台から転がり落ちていることもありました。
積み過ぎが事故の原因
こうした事故の原因の多くはスピードの出しすぎか、過積載にあります。ブルキナファソの道を車で走っていると、トラックもバスもタクシーもロバも人も、すべての輸送手段が可能な限りたくさんの荷物を積んでいるのに出会い、びっくりします。アフリカの写真集などにもよく取り上げられていますが、アフリカでは1回の行程でできるだけ大量の荷物を運ぼうとして、荷台や屋根にありえない程の荷物を積んで道を走っているのです。定員50人乗りのバスに120人が乗りこむケースがありますし、バスの屋根の上には自転車やバイク、引っ越し荷物、人間、羊やヤギが一緒くたに乗っていることさえあります。
中には丸太を積んで、車体が既に傾いて走っている車も多く見かけます。その後ろを走行すると、いつ横転するのではと心配になり、ハラハラドキドキです。日本では橋桁にぶつからないよう、高さ制限がありますが、ブルキナファソでは高架橋がめったにありませんので、高さ制限があっても、守られていません。
時には橋ごと落下することも
また、大きな伝統的仮面の祭があるというので、ワガドゥグーからデドゥグーという町に出かけた時、デドゥグーに入る手前の小さな川にかかる橋に差し掛かりましたが、橋がトラックもろとも崩れ落ち、川に横転しているのに遭遇しました。そのため、急遽迂回路が作られ、少し遠回りして目的地に着いたことがあります。
自然災害で交通遮断が起こることも
自然災害で橋が流れ落ちてしまうこともあります。私がブルキナファソとニジェール、マリの国境近くにあるタンバオという村に出かけた時のことでした。兵士が護衛につき、トラックの荷台に乗って私たちを先導してくれました。
北方最大の町ドリを通り過ぎゴロンゴロンという町へ向かっていると、まさに砂漠地帯の道なき道を行くという感じになります。途中、何本か川を渡り順調に進んで行きましたが、目的地に近い最後の川に差し掛かった時、といっても乾季には水も流れていないようなワジ川ですが、その手前にトラックやバスが停止して、乗客が道端に降りているのが見えました。
何事があったのかたずねてもらうと、先に架かっていた橋が、少し前に降った雨で流されてしまったので、復旧するのを待っているということでした。
ある一群はラクダの周りに群がっていました。北方へ帰る遊牧民(ノマード)でしょうか、男たちは勇ましいターバンを頭に巻いており、女性たちは布を顔にかぶっています。彼らはブルキナファソの北から南までラクダに乗って移動することもあるそうです。
私たちも車から降り、河原をよぎって川の近くまで行きました。小高い土手を挟んで川が流れています。雨が降ったばかりのため、結構水量も嵩んでいました。川に臨時に渡してあった丸太を使って向こう岸に渡りました。
私たちを先導していた5~6人の兵士たちがスコップを手にとり、川底を平らにしたり、手を緩やかな斜面にならしたりし、車が渡れるようにしてくれました。わが運転手さんは、搭乗者が降りて軽くなった四輪駆動車を巧みに操縦しながら、こちら岸から向う岸に、段差のある土手をおり、川の水をかき分けながら、向こう岸の土手の上まで一気に操縦して昇り上がりました。周りから拍手が沸き起こります。
そして、時には家畜の群れが道路を長時間にわたってゆっくりと行進し、車の走行を妨げることがあります。そんなときブルキナファソでは車を徐行させて、家畜たちを優先するのが習わしです。
ブルキナファソ政府は取締りを厳しくし、テレビやラジオでも大々的に交通安全キャンペーンをしていますが、状況はなかなか改善されません。くれぐれも注意を怠らず安全運転を心がけるようにしましょう。
Posted by オリオラ
オリオラ
▷記事一覧Auriola
商社員、外交官を経て現在、自由業。