PANORAMA STORIES
イヴ・サンローランとモロッコ Posted on 2017/11/14 石井 リーサ 明理 照明デザイナー パリ
アフリカ大陸北西に位置するモロッコ。クラシック映画好きには「カサブランカの国」と言えばわかりやすいでしょうか。日本ではあまり馴染みがない人も多いかもしれないけれど、最近では我らが編集長 辻仁成氏も気に入って随筆を残している通り、フランスではとても身近で人気の国です。ちょっと連休に出かけたりできる、暖かいリゾート地という意味では、日本人にとってのサイパンやグアムのような感じでしょうか。数年前の「イスラムの春」では唯一、平穏を維持し、国際的な観光立国としてのプレゼンスとともに、最近では若き国王のリーダーシップのもと、アフリカ大陸での発言権をも高めています。
さて、そのモロッコの最も人気の観光地がマラケシュです。
そこにこの程、フランスの英雄的モード・デザイナー、イブ・サン・ローランの美術館が誕生しました。
なぜYSLがモロッコに?
それは、アルジェリア(モロッコに似た文化をもつ北アフリカの国。当時はフランス領)で生まれ育ったサン・ローランにとって、マラケシュは、政情不安定な故郷に変わる「憩いの地」だったからです。周知の通り、サン・ローランはアフリカ彫刻や、アラブのマントなどの伝統装束からインスピレーションを受けた作品を数多く発表し、70年代以来世界のモード界に衝撃を与え続けました。
パリでのビジネスに忙殺された彼に潤いを与えてくれたのが、マラケシュの別荘で過ごす休暇だったそうです。年に2回のコレクションを創作するために、この地に毎年春と秋、篭ったとも聞きます。マラケシュの中心にある旧市街地にあるスーク(バザール)は、いまでこそ観光客向けの様相を濃くしていますが、当時はもっとディープに民族的色彩が感じられたはずです。有名人だったイブが、誰にも気付かれずに外を歩き、自由にインスピレーション・ソースを探せたのが、この地だったのでしょう。
公私ともにサン・ローランを支え続けたピエール・ベルジェ氏は、2008年のパートナーの死後もブランドを牽引し、財団を運営し、長年の夢だった「イブ・サン・ローラン美術館」を、彼との思い出の地に建設することを思い立ちます。
メディアの関心が集中すること必須のこの建物の設計を任されたのは、フランスで注目の若手建築家デュオ「スタジオKO」の男性二人組(こちらもカップル)でした。そのプロジェクト・チーフから私のところに最初にメールが来たのは、早3年半ほど前のことです。「フランスを代表し、モロッコの国家的観光地の一つになるプロジェクトです。是非、照明デザインのプロポーザルを出して欲しい」と。
高校生のころからアラブ芸術に傾倒していた私は、フランスに住むようになってから幾度もモロッコを訪れ、その文化に触れてきました。行くたびにそのコーラル色の街並みと光に、とろけるようにときめきます。コーランの祈りと、伝統を守る人々の暮らしは、アジア人として生まれ、欧米文化に染まって暮らしいる私にとって、エキゾチックな魅力の宝庫なのです。
マラケシュでのプロジェクト、それもYSLのようなクリエーティブなデザイナーの美術館を手がけられるなど、考えたこともなかった私は、夢のようなオファーに、一も二もなく、二つ返事。喜びにあふれました。それから長い戦いが始まるとは思いもせずに……。
クライアント、建築家を始めとするコンサルタント・チームはほとんどがフランス勢でした。打ち合わせやプレゼンテーションはパリとマラケシュを行ったり来たり。大変な労力と知力と時間を使いながら、ムーア調のレンガを積み上げた美しい建物が姿を現しはじめるまで、私たちは、照明デザインの提案の改定を10回も繰り返しました。それだけ建築家も悩み、クライアントも熟慮し、それに伴う度重なる変更に私たちも、取っ組みあったということです。
クリエイションの仕事は、あたかも魔法の杖を振るようにアイディアが湧いてきて、それが瞬く間に美しいライトアップになる、と思っている方もいるかもしれませんが、実情は、地味な作業の積み重ねでもあるのです。
現場も、とびきり大変でした。モロッコならではの、ゆるやかなペースと、おおらかな管理体制の上に様々な要因が重なって、工事は遅れに遅れ、特に照明工事が大幅にずれ込みました。
(なぜアラーの神は、私にこんな仕打ちを?!)と心の中でつぶやきながら、幾晩深夜まで現場に留まり、職人さんたちを叱咤激励したことか! 最終なんとか形になったのは、世界中からVIPゲストが集まるプレオープンの前の晩12時でした。
モロッコ王室も隣席した前夜祭。マラケシュの顔である世界文化遺産のジャマール・エル・フナ広場には巨大なスクリーンが設置されて、YSLの代表的なファッション・ショーの歴史的映像が披露されました。
「ソワレ・ブランシュ(参加者全員が白い服を着用しなければならないパーティー)」の発案者であるサン・ローランに敬意を表して、真っ白いパーティー服に身を包んだ私も、その会場の関係者席で、その映像を感嘆しながら見入っていたのは言うまでもありません。
「今年アフリカ大陸でオープンする文化施設の中で最大」とされるこの大プロジェクトの完成を祝い、喜びを分かち合うプロジェクト・チーム。
そこに参加できる歓喜と感慨を満喫した後、私はまた現場に戻りました。屋根の上に設置された投光器の角度調整がまだ終わっていなかったからです。白いマントを翻しながら、登った屋根の上。そこから降り注ぐ私が創った人工「月明かり」は、神々しく、この美術館の中庭を照らしています。
Posted by 石井 リーサ 明理
石井 リーサ 明理
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照明デザイナー。東京生まれ。日米仏でアートとデザインを学び、照明デザイン事務所勤務後、2004年にI.C.O.N.を設立。現在パリと東京を拠点に、世界各地での照明デザイン・プロジェクトの傍ら、写真・絵画製作、講演、執筆活動も行う。主な作品にジャポニスム2018エッフェル塔特別ライトアップ、ポンピドーセンター・メッス、バルセロナ見本市会場、「ラ・セーヌ日本の光のメッセージ」、トゥール大聖堂付属修道院、イブ・サンローラン美術館マラケシュ、リヨン光の祭典、銀座・歌舞伎座京都、等。都市、建築、インテリア、イベント、展覧会、舞台照明までをこなす。フランス照明デザイナー協会正会員。国際照明デザイナー協会正会員。著書『アイコニック・ライト』(求龍堂)、『都市と光〜照らされたパリ』(水曜社)、『光に魅せられた私の仕事〜ノートル・ダム ライトアップ プロジェクト』(講談社)。2015年フランス照明デザイナー協会照明デザイン大賞、2009年トロフィー・ルミヴィル、北米照明学会デザイン賞等多数受賞。