JINSEI STORIES
父ちゃんの料理教室「夜食道」 Posted on 2021/12/08 辻 仁成 作家 パリ
受験生を抱える親御さんに共通の悩みかもしれないのだけど、子供は反抗するのが仕事だし、親がいちいちそれにムカついていてもしょうがないので、そもそも、親というのは、頑張る子供をさりげなく支援するくらいの黒子的な存在になるのがベストなのだから、ぼくは料理を通して、息子を支援してきたつもりである。恩を売るつもりはない。
子供も受験に向けて、神経を使っているのだから、何か言われても、ここはぐっとこらえて、息子の勉強体制を整えてやるのが、親というものであろう。
しかし、出来ることは限られている。
何ができるかというと、ごはんを作ってあげることと、神経を逆なでしない程度の、心地よく受験に迎える環境を整えてあげることが大事、・・・あと、夜食、である。
夜食は、作りすぎると、「いらないよ」と怒られるので、頑張ってるな、おなかすいているだろうな、という時に、ちょっとつまめるものを、しかも、さりげなく準備し、配置できるのが望ましい。
これは、簡単そうで、そう簡単ではない。
ここのところ、子供部屋の灯りが遅くまで灯っている。
もちろん、ゲームをやったり、音楽を作ったりしている時間もあるけれど、さすがに、尻に火がついている状況かもしれない。
勉強をしている感じがひしひしと伝わってくる。
真面目な子なので、最終的に、心配はしていないが、何かできることをしてやりたいと思うのを、親心というのかもしれない。
「お腹すいてるか?」と訊くと「いらない」と返事がかえってくるのはわかり切っているので、食べるも食べないも自由な夜食を拵えておくのがいいだろう。
食べなければ翌朝の朝食にもできるし、どっちにでも転べるような食べ物、実はそれが「夜食」なのである。
朝も手を付けない場合は、ぼくが朝ごはんに食べればいいので、無駄にはならない。
今日はおにぎりを作った。いつぞやはサンドイッチだった。
毎日、作らないとならないという決まり事はいけない。
自分が空腹を感じる時に、ついでに作って、ちょこんと置いておく、それが「夜食」の本当の姿であろう。
夜食道というものがあるならば、夜食とは、頑張る子供たちの小腹を埋めるための、親の愛のことを言うに違いない。
男親の難しいところだが、お父さんが夜食を持って子供部屋に行くのを年ごろの息子はかなり煙たがる。
これは持っていくこっちも気恥ずかしい。
その辺の心理をうまく説明できないけれど、きっとぼくの記憶の中に「夜食はお母さん」という古い固定概念が残っているせいかもしれない。
なので、その手渡しの方法が一番難しくなる。
そこで昨夜はおにぎりを作り、(今日は肉味噌炒めの残りを葉唐辛子とあえたものを白米の中に詰めて握った)、丸椅子の上に置いた。
最近、よくやる手である。
椅子はトイレとキッチンに行く廊下の途中に置いた。
食べたければ食べるだろう、そっと置いて、黙って寝た。
翌朝、ドアがバタンと閉まる音でぼくは目覚めた。息子が登校したのだ。いつも通り、7時45分である。
トイレに行くと椅子が片付けられており、お皿が流しのシンクに置かれてあった。
会話がなくても、夜食がつなぐ親子関係もある。
こうやって子供というものは成長していくのである。
つづく