JINSEI STORIES
「短期間でも海外で暮らしたいあなたへ」 Posted on 2020/01/31 辻 仁成 作家 パリ
一度でいいから海外で暮らしてみたいと思ってる人は多い。学生ならば留学も可能だ。社会人の人は、人生を見つめ直すためにだったり、長期の休暇だったり、人生の気分を変えるためだったり、いろいろと理由があるだろう。でも、大きな意味で、自分を見つめ直すために、一度国外で暮らしてみたいと思う人も多いのじゃないか。ぼくも37歳の時に人生をリセットさせたくて、一年間ニューヨークで暮らしたことがあった。大きな成果と、世間知らずだったぼく自身を鍛え直す大冒険が待ち受けていた。海外に出ることが怖くなくなったのはこのニューヨークでの一年の滞在によるところが大きい。
この時には新聞社さんからジャーナリストビザを出してもらっている。アメリカ大使館で申請をして認められての渡米であった。だから、身分としては記者だったのだ。マンハッタンの66丁目に住んでいた。ジュリアード音楽院のすぐ隣の高層マンションの33階だった。歩いて5分のところにセントラルパークがあって、その途中にあるバーンズ&ノーブルという書店で本を探し、近くのカフェでコーヒーを買って、公園の中ほどの原っぱで寝転んで空を見上げながら
「俺は何になりたいんだぁー、実際―」
と毎朝、叫んでいた。
今、思うと懐かしい時代である。角川書店のアメリカ支社があったので、そこにいた編集者の山崎君、それからNYで知り合った、今や世界的になったけど指揮者のキンボー・イシイ・エトー君と毎晩、ダウンタウンに呑みに出かけていた。そこでいろんな人たちにあって、世界の見識のようなものを学ぶことになる。世界から見ないと日本はわからない、と思ったのもこの時期だった。毎日、興奮状態にあった。一年が慌ただしく終わり、最後の日、キンボーのお母さんのミエンチャン(台湾の人だ)が部屋を片付けに来てくれた。キンボーも大好きだったけど、このミエンチャンとの思い出が特に大きい。強い志と広い世界観を持っていて、子供たちは5ヵ国語を操る。ああ、こういう人が国際人というのだ、とぼくは思った。自分もどんどん世界に出て、もっと多くの知らないことの升目を埋め尽くしていきたい、と思ったものだ。朝早く、キンボーとミエンチャンがぼくをタクシーに乗せた。朝陽が高層ビルの壁面で鈍く輝いていた。帰国しなきゃならないのが、とっても寂しかった。ぼくの記憶に残るNY滞在最後の光景であった。
とにかく、世界に出て世界から世界をみてほしい。今、新世代賞の最優秀賞を受賞した立花君がパリのうちの近くに住んでいるので、飯を食わせたり、ライブの手伝いをやらせたり(笑)、まあ、面倒をみてる。先週、彼は携帯を紛失したのだけど、DSのスタッフが頑張って見つけ出した。(正直、フランスは紛失物が出てくるような国じゃないので、みんな驚いた)強運の持ち主ということだろうけど、彼はワーキングホリデービザの取得には不運にも失敗し、今回はわずか3か月の語学研修でパリにいる。午前中が語学学校で学び、午後は社会勉強をしている。ぼくの知り合いたちを紹介し、フランスを学ばせている。24歳の青年にとって、それでも、この経験はきっと大学の4年間に匹敵する興奮度をもたらすことだろう。すでに舞い上がっているので携帯を失くすのだ。きつく叱らないとならない。
しかし、海外で暮らすことの危険を恐れていては、学ぶことはできない。ぼくは18年、パリで暮らしているけど、一度も危ない目にあったことがない。気を引き締めていれば手に入れるものの方が大きい海外生活なのである。そこで、海外に出てみたい方々に、この場所をかりて、海外生活の手引きのようなことを連載していくことにした。実際に海外生活は無理でもイメージを広げるだけでも楽しいので読んでみて頂きたい。外に触れるということの大事さを思い出してほしい。DSの記事をたくさん読んで、いつかは、3か月でもいいので海外で暮らしてみたらどうであろう。10年後でも20年後でもいい、70歳でも可能だと思う。旅行じゃなく、ちょっと暮らしてみる、これは旅行とは全然違うものだ。自分を変えたいと思う人にとって、海外生活は人生のリセット、大いなる進路変更をもたらす。
「俺はどうしたいんだぁー、実際―」
と毎朝、叫ぶのもいい経験であろう。