JINSEI STORIES
「孤高のくじら。レスターシティの岡崎慎司」 Posted on 2016/11/02 辻 仁成 作家 パリ
本誌でも連載が好評なレスターシティの岡崎慎司選手の試合を観にトッテナム・ホットスパーの本拠地まで出かけることになった。
これには理由がある。
少し前にとあるスポーツ紙に「岡崎居場所がない」という記事が載った。
気にしているといけないのでお節介ながら、「ああいうのは気にしないほうがいいよ」とラインで伝えた。
「全然気にもしてません」と潔い返事が戻って来た。
その日はその勢いで夕方くらいまで珍しくくだらないメッセージのやりとりをした。
夕方、私は仕事に戻った。2時間後、何気なくパソコンを開いたらネットニュースに「速報。岡崎2点目ゴール!」という記事が。私は驚き、笑った。試合直前だったのか。その余裕・・・。
翌日、また普通にラインメッセージが届き、「来月、ロンドンでの試合にご招待したいのですが」とあった。
もちろん、行かないわけにはいくまい、ということになる。
サッカー観戦は初に近い。
しかも異国で、勝手がわからない。スタジアムはどうやらロンドン郊外である。
息子と地下鉄で行こうとしたら封鎖、結局、慌ててタクシーを拾った。
トッテナムの本拠地まで1時間半かかった。労働者階級の屈強なサポーターたちがスタジアムを包囲していた。英語の発音が異なる。意味が理解できない。とにかく馬鹿でかい。その中を私は12歳の息子と進んだ。
どこにチケットを預けてくれてあるのか、皆目見当もつかない。なぜか預けた場所を教えてもらえなかった。こちらも試合前に邪魔したくなくて、聞けず、とりあえず探すことになる。
5,6か所の受付で「岡崎の友人だ」と言い続けた。最後の窓口の守衛に、「ここはトッテナムだぞ、怖くないのか」と笑いながら脅された。
見回すとでかいイギリス人らが私と息子を包囲していた。
アウェーという言葉は知っていたが、まさにレスター応援団が占めるのは一角のみ。
負けずに声を張り上げるレスターサポーター。
でも、比ではない。圧倒的にトッテナム陣地だ。
だからこそ、レスターのサポーターらの熱狂は凄まじかった。
ファンファーレが鳴り響き、試合がはじまる。あまりに遠く、どこに岡崎がいるのかさえわからなかった。
先発かどうかもわからない。視力のいい息子が「いる。ほら、20番」と指さした。いた。
173センチの岡崎慎司は小さい。アングロサクソンの選手らは巨人のようであった。
「パパ、日本人の誇りだね。大きな選手に負けてない」
岡崎慎司は堂々とピッチの上にいた。
不思議だが、彼一人だけ、焦ってないように見える。
試合が動くにつれ、彼の存在が次第に大きく聳え立っていった。
周りがとめどなく動くのに、彼はそこにいてそこにいない。
面白いのは、気が付けば、飛び回るボールのいつもほぼ中心に岡崎慎司がいた。そして忍者のように素早く動く。
小柄なくせに、そこに壁をちゃんと築いている。忍者の壁だ。
後退しながらも、しなやかに動き、敵の進路を幾度と阻み、思い通りにさせない。
自分がミスをしても、そこで無駄な動きはせず、つまり、挽回を焦らず、ボールを無意味に追いかけない。
ある意味でチームメイトを信頼している。同時に信頼していない選手もいるのがわかる。
そういう時に彼の動きは細やかになる。敵を欺く岡崎慎司の技術にチームメイトがついてこれない場面もあった。
もったいないと思うが、私よりも本人の方が辛いのじゃないか、と思った。
名前は知らないが9番の選手が良く動く。この男の動きと岡崎の動きは呼応している。
この二人がレスターの主砲なのであろう。そしてレスターのデフェンスは優秀である。
ボールを持ち続けているトッテナムのFWが切り崩せず苛立っていた。
前半、1点を目の前で先制された。けれども、ハーフタイムの直後、レスターが1点を押し込んだ。
レスターサポーターたちが歓喜した。どよめき、スタジアムが揺れる。
私も息子も手を振りあげて叫んでいた。
勝負の世界は面白い。
もっと自己中心でやればいいのに、と岡崎に対して思う瞬間もあった。
チームを勝利に導くため自分を犠牲にし過ぎてないか。
こんなに立派である必要があるのか、サムライの忠義精神をここまで保っていいのか。
一度、チャンスが巡って来た。ゴール前、敵デフェンスは一人であった。
しかし、岡崎は難しいと判断した途端、遠くで待つ味方へとあっさりパスしてしまう。
その瞬間だけ、サポーターから嘆息が零れた。
私も同じ気持ちであった。
勝つことは大事だけど、勝てない勝ち方だってある。
岡崎のそういうファイターとしての場面をみんな期待している。たとえ阻止され、ボールがゴールポストを大きく逸れても、ファンは納得するのじゃないか、と思った。
いや違う。
この岡崎慎司の愚直な動きが彼らしさなのかもしれない、と思い直した。
彼はどの瞬間であろうと余計なことはやらない。
面白い試合をとるのか、チームに貢献する姿を選ぶのか、それは30歳のストライカーにしかわからないことであろう。
ずぶの素人の私には所詮すべてが見た印象でしかない。
時に忍者のように俊敏に動き、時に航空母艦のように彼らの中心に佇むサムライ。
このような選手は他に見当たらなかった。
彼がすかさずおくる合図をゴールキーパーは見逃さない。後ろに目が付いているのじゃないかと思うほど岡崎慎司はつねに冷静であった。ゴールキーパーは岡崎が振り返るまでどこにボールを戻すのか意思を示さない。
岡崎は海原を歩む孤高のクジラだ。
必ず岡崎が振り返った時にボールがピッチへと投じられた。
どの瞬間に合図を送りあったのだろうと思うほどの意思の疎通。
あの男は群れの先を泳ぐ丘の上の孤高のくじらであった
短い命を惜しむようにピッチの上の選手たちは輝いていた。
同じように、スタジアムを埋めるサポーターたちの人生がそこに寄り添っていた。
素晴らしい試合を見せてもらうことができた。
終了、10分前に岡崎選手は交代した。
私と息子は席を立った。「パパ、いいの?」「いいよ。岡崎慎司の戦いぶりを最後まで見ることができた、満足だよ。でかいイギリス人たちに包囲され身動きとれなくなる前にここを離れることにしようじゃないか」
スタジアムの外で訊く彼らの熱狂がすでに懐かしかった。
結局、試合は1対1の引き分けとなった。
Photography by Hitonari Tsuji