JINSEI STORIES

暑く長いジャカルタの夜 Posted on 2018/07/16 辻 仁成 作家 パリ

 
30年ほど前のことだが、よくバリ島に遊びに行った。ウブドあたりを舞台に小説を書いたこともある。インドネシアは初めてではない。
しかし、バリ島とジャカルタの間には一時間の時差があり、宗教も異なる、かなりの広い海域がインドネシアの領有となる。インドネシアは何十万もの島で構成された国家で各島にはそれぞれの言語があり、インドネシアの公用語”インドネシア語”がインドネシア人にとっての共通言語となっている。接続詞を多用しないので英語より簡単だ、と現地在住日本人から教わった。トリマカシ〜、は、ありがとう。聞いていて嫌にならない、リズミカルで可愛らしい南方の響きである。

ウブドとはまるで比較にならないほどの大都市ジャカルタに降り立ったのは生まれて初めてのことであった。
 

暑く長いジャカルタの夜

 
日本とインドネシアの合作映画『真夜中の子供』の出演交渉や記者会見を控えた慌たゞしい日程でのジャカルタ滞在となった。
ジャカルタスカルノハッタ国際空港は広大な土地に広がる巨大空港。国際線側は伝統的な古い建物を意識した造りとなっている。ドメスティック空港の方が圧倒的に巨大でこの国の急速な発展を物語っている。

英語はあまり通じない。待ち合わせていた現地スタッフも見つからず、空港外の人々が屯する道端で小一時間待たされた。これが実はインドネシアタイムなのだ。沖縄のテーゲーを思い出す。

タクシーはメーターを降ろさないで走ったりするので、メーター、メーター、といちいち指差し注意しなければならない。じゃないと降りるときに明瞭会計ではなくなっている(笑)。シルバーという高級タクシーグループの車を見つけたらそれをつかまえるのが無難。路上では、日本人の携帯が盗まれる被害が頻発しているので、慣れてきても外での携帯撮影は控えるべし。ここまで、フランスと何も変わらない(笑)。

さて、シルバーに乗って、市内へGO!
 

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

 
東京は一千万人ほどの人口だが、ジャカルタはその三倍、約三千万人が首都に住んでいる。東京周辺、千葉や埼玉、神奈川などを合わせた数字だ。インドネシアの人口はなんと二億四千万人、日本の二倍なのである。
 

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

 
さまざまな民族が集まって出来たインドネシア。だから宗教もまちまちだが、イスラム教の人口が一番多い。お酒は普通の店では扱ってない。同じ回教国のモロッコでもお酒が飲めず苦しんだ経験がある。インドネシアはそこまで規制は厳しくはない。大きなレストランにはビールやワインも置いてあるし、ホテルの冷蔵庫内にも、ありました(笑)。ヒジャムを着けない女性もかなりいる。宗教だけじゃなく、流れる時間も、何事も緩やかなのがインドネシアスタイルなのかもしれない。
 

暑く長いジャカルタの夜

 
経済の発展する勢いは凄まじく30年前の日本、10年前のソウルを見ているような感じだ。みなさん車に命をかけているのか、どの車もピカピカで、しかも、ほぼすべてが日本車だから驚く。日本とインドネシアの経済的繋がりはどうやら強そうだ。パリの空港から市内までの企業看板も、20年前は全て日本企業のものだったが、最近は韓国、中国ばかり。しかし、ジャカルタは全てがまだ日本企業の看板であった。走っている車も圧倒的にトヨタが多い。日本は成熟し閉鎖的にはなった欧州を捨ててまたまだ発展途上の東南アジアに主力を移したということだろう、
インドネシア経済は今後さらに大きく躍進するに違いない。日本との強い経済的な未来を想像せずにはおられない。
 

暑く長いジャカルタの夜

 
映画『真夜中の子供』の舞台は西日本最大の歓楽街中洲である。
そこで働くインドネシア人が活躍する場面があり、今回は、インドネシアの国民的俳優レザ・ハディアンへの出演交渉が最大の仕事だ。たくさんのメディアのインタビューを受けていると、不意にレザのマネージャーさんが会場に姿を現し、レザ・ハディアンの出演がほぼ決まったことをいきなり明かしてしまう。私も含めて一同から拍手と唸り声が上がった。
交渉する前にマスコミに出演が明かされるところがインドネシアスタイルかもしれない。とにかく、私にとってはいきなりの大金星となってしまった。
 

暑く長いジャカルタの夜

 
夜、スタッフらとジャカルタの歓楽街に食事に出かけた。若い日本人とインドネシア人の映画関係者たちが私を連れて行ったのは「ロック・エム」と呼ばれる歓楽街のカラオケ店だった。彼らはよく行くみたいである。
ここはリトル東京。80%は日本人! お酒を飲まない映画のスタッフさんらはひたすら歌っている。歌を聞かせてとせがまれ、仕方ないから私はサザンオールスターズのいとしのエリーを熱唱した。「あなた、歌がめちゃうまい!」と拍手喝采する地元の若者たちに、私は笑顔で、あまり、嬉しくないよ、と苦笑いを戻すのだった。

そのすぐ隣に庶民的なモールがあるというので私はカラオケを抜け出し散策した。ものすごくローカルなモールである。売ってるものもブランド品ではなくバッタものばかり。カサブランカの高級ブランド街(SOGO周辺)を歩いた時とは雲泥の差。日本人が一人で歩くには勇気がいる場所だ。まさに私が見たかったローカルなインドネシアの今日的風景が広がっている、バッタものの宝石、日用品、化粧品、などなど。まるで、モロッコのスークみたいな世界。
 

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

 
お腹が空いたから現地の人と露天に入り、みんなが注文するようなものを頼んでみた。周りを見渡して、びっくり。みなさん、ミント水でサッと手を洗ってその手で掴んで食べている! しかも食べてるのはナマズの丸揚げと白飯!
ナマズを手でちぎり、ご飯と一緒に食べてる絵は圧巻。寿司スタイル、と隣の兄さんが笑いながら教えてくれました。
いや、それ、寿司とは違いますから。
 

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

 
貧しい地区だから、取っ替え引っ替え幼い兄弟姉妹(4歳5歳の、中には赤ちゃんを抱くおねぇちゃん)たちの流しが店内に入ってきて大きな声で歌いだす。取っ替え引っ替え出入りするが店の人たちは止めない。食べることに集中できないから持ってる小銭をすべてあげてしまった。同情したいが、この光景はパリでもたまに見かけるロマ人たちと一緒だ。これが大都市の現実、宿命なんですね。
 

暑く長いジャカルタの夜

暑く長いジャカルタの夜

 
私が滞在したホテルは富裕層が集うファッション地区にあった。一帯は東京に負けないほどの高級エリア。着飾った富裕層の若者たちが集まり、まるで六本木ヒルズのような賑わいである。貧富の差が半端ない。富裕層に限っていえば日本はその足元にも及ばないらしい。超お金持ちのインドネシアから貧困にあえぐ、しかしパワフルなインドネシアまで、私は短期間で駆け抜けてしまった。

この次、この国を再び訪れる時は、きっと映画制作がさらに前進している時であろう。
愉しみで仕方ない。
 

暑く長いジャカルタの夜