JINSEI STORIES
想い出旅食日記「ザッハトルテが食べたい」 Posted on 2022/07/01 辻 仁成 作家 パリ
数年前、ぼくはザッハトルテを食べに、ウイーンへと旅した。ここに再び、美味しい風景と想い出が蘇る・・・。さて、
たまに食べたくなるのがザッハトルテである。しょっちゅう食べたくなるわけじゃないけど、ふとした時に、ああ、ザッハトルテが食べたいとなる、不思議なチョコレートケーキの王様だ。
ぼくはだいたい生クリーム好きだから、それが目当てなのだけど、生クリーとあの濃厚なチョコレート生地との相性は抜群で、やみつきになる。日本で食べるザッハトルテも十分に美味しいけれど、やはりウイーンで食べたザッハトルテは世界一であった。
母の兄の二女めぐりがオーストリア人の元に嫁いで20年。同じ欧州で暮らしていることもあり、交流がある。ひとちゃん、ひとちゃん、となついてくれるので、妹のような存在だけど、ウイーンでは料理の先生のようなことをしている。ぼくが得意とするグーラッシュ(牛肉の煮込み料理)やウイーン・シュニッツエルなどは彼女のレシピを参照にしている。ご主人はセキュリティ会社に勤めていて、いつもピストルを携帯している。
「え? 今日も持ってるの?」
とご主人に聞くと、うんうん、と微笑みながら頷く。ジャケットの内側のホルダーに、ガシっとおさまった拳銃が潜んでいることを想像してしまう。ちなみに、実物を見せてもらったことはない。
「これはぼくの仕事だから」
と言われた。日本の警備会社の職員が拳銃を持つことはない。国が違うといろいろと違うんだ、と思った。オーストリアはフランスから近いけれど、ザッハトルテ以外はまだ未知の世界かもしれない。
めぐりのご主人の趣味はハンティング、しかし実に温厚な優しい男だ。ひとたびアルプスの山に鹿猟に出ると2週間は下山しない。
スワロフスキーのレンズが付いたライフルで鹿を一撃で仕留める。木につるし、血抜き、部位ごとに切り分け、家に持ち帰るのだそうだ。一度、ご馳走になったことがある。そのダイナミックな肉の触感側ア擦れられない。従妹の家では、1年を通して鹿肉が冷蔵庫で眠っているのである。この夫婦、二人ともビッグで、迫力がある。
ホテルザッハーに宿泊すると、外のカフェではなく、ホテル内の静かなラウンジでザッハトルテを注文することが出来る。木の壁に囲まれ落ち着いたつくりのラウンジでザッハトルテにフォークを刺す。
夕方くらいから着飾った客の出入りがはじまり、深夜まで途切れない。
横のバーでマティーニを注文し、ラウンジのソファに陣取り従妹と再会を祝し乾杯した。
チョコレート味のバターケーキを、溶かしチョコレートの糖衣でコーティングしてある。その間にアンズのジャムが塗りこめられてある。どうやら、このジャムが美味しさの秘訣のようだ。
「みて、ここのザッハトルテにはチョコレートのスタンプが付いてるでしょ。
これはオリジナルザッハトルテにしかないの」
とめぐりが教えてくれた。
「へ~、なんかこういうこだわりがいいね」
「でも、これは自分で作ることもできるのよ。ちょっと普通のケーキより大変だけど、コツさえわかれば自宅でも美味しいのが作れるんだよ」
「めぐりの料理教室に行くと教えて貰えるの」
「もちろんよ」
「生徒は日本人が多いの? 駐在員の奥さんとか?」
「昔はね、でも、今はここもパリ同様、日本人が減ったから、私、ウイーンの人たちにウイーン料理教えているの」
「おみそれしました」
二人は笑いああった。
1832年、ウィーン会議開催の折、時の宰相メーテルニヒが僅か16歳のパティシエ、フランツ・ザッハーに命じて作らせたのがこのザッハトルテ。
フランツの息子エドワルドの代に、一族が経営するホテルザッハーが経営難に陥り、オーストリア王室御用達菓子司のデメルに助けを求め、援助の見返りとしてデメルでのザッハトルテの製造販売権を渡す。
エドワルドの死後、ザッハ遺族側がオリジナルザッハトルテの商標を使わないよう求める裁判を開始。
7年に渡る裁判のあと、裁判所は双方にザッハトルテの生産販売を許可、そして、ホテルザッハーのものは『オリジナルザッハトルテ』として、デメルのものは『デメルのザッハトルテ』と称するようになった。
「で、結局、どっちのザッハトルテが美味しいの?」私がそう質問をすると、
「だから、ひとちゃん、私が作るザッハトルテが世界一美味しいのよ」と従妹が繰り返した。
ぼくたちは笑ってもう一度乾杯をした。
デメルのザッハトルテはコーティングチョコとケーキの間にだけアンズジャムが塗られている。
オリジナルのザッハトルテはさらにバターケーキを二層にしてそこにもジャムを挟みこんである。
この違いだけよ、と従妹は言った。
「そして、今やその秘密のレシピは誰もが知るものとなった。秘密が秘密じゃなくなったことで、逆にザッハトルテはウィーンを代表する世界のチョコレート菓子になった。でも、もともとはフランツが作ったのよ。そのことだけは変わらない」
オリジナルザッハトルテは甘いのにそれほど甘さを感じない。
添えられている生クリームと一緒に食べるとその甘さが口中に打ち寄せながら広がる。
やっぱりポイントはアンズジャムだ。
甘酸っぱいアンズのジャムがバターや砂糖やチョコレートの力強さを和らげる。
単純な仕掛けなのに複雑な味わい、驚き、錯覚を食べる者に与える。
1832年当時、このことに着目したフランツ・ザッハーはすごい。しかも、16歳の若さである。
人生の甘酸っぱさがこのケーキにはぎっしりと詰まっている。
しかも、チョコレートの糖衣がその人生をほろ苦く包み込んでいる。
「いいえ、これはホテルザッハーで食べているから、また格別なのよ」と従妹は音楽を奏でるような口調で言った。
遅れて従妹の夫が顔を出した。
オーストリア人はとっても日本人に似ている。真面目で、恥ずかしがり屋で、でしゃばらず、弁えている。
ぼくたちはもう一つザッハトルテを注文し、再会を懐かしがった。
指先を伸ばしピストルを構える真似をした。
今日も持ってるの? と訊ねると、彼は胸の脇を押さえながら、仕事ですからね、と笑顔で小さく頷いてみせた。
それから鹿猟の話をし、彼が所持するピストルの写真を見せてもらい、ドイツ語が飛び交い、
夫婦の仲の良さを見せつけられた。
私はザッハトルテを一口フォークで掬って頬張った。まぎれもなく、それはウィーンの味であった。