JINSEI STORIES
滞仏日記「巴里に死す」 Posted on 2019/01/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、午前中、不意に大雪に見舞われ、マイナス二度、パリは真っ白な世界となった。息子は今日も背広を着てスタージュに出かけたので、僕は居住証明書を取りに散歩がてら雪の中外出することにした。見慣れた景色が白いというだけで違う世界に足を踏み入れた感じになる。パリの緯度は北海道より北らしいというのを聞いたことがあるけれど、雪はあまり降らないし、積もらない。年に一度、ドカッと降る。普段あまり見かけない子供たちが集まって通りで雪合戦をやっている。雪を踏む時のあのキュっと鳴る音が好きだ。僕は夏でも一年中ブーツを履いているので、今日が一年で一番足元がしっくりきている。雪の下に石敷きの道のごつごつとしたパリらしい感触があり、降りしきるぼた雪の優雅な舞を眺めながらも、僕はこうしてまだパリにいるのだと思わず実感してしまう。古本屋で芹沢光治良の「La Fin Du Samourai」の初版を見つけたので買った。「日本人?」と訊かれたので「ええ、パリの日本人ですよ」と答えた。芹沢と言えば高校生の時に何冊か読んだ。一番好きだったのは「巴里に死す」という悲しい物語だったような・・・。サンシュルピュス教会も雪に覆われていた。前の噴水が凍りついており、美しい水鳥が氷の上で羽を休めていた。近づいて写真を撮ったが、逃げる気配がない。こういう瞬間に記憶が揺さぶられる。ここにいるのだけど、かつて、どこかで見た逃げ水のような景色が脳裏を過っていく。記憶にないものがほとんどなのはなぜだろう。この記憶の残像・断片が実は小説を書く時の秘密兵器になっている。
ユーロが始まった時にも僕はパリにいた。フランからユーロへの切り替えの時期で商店は大混乱していた。ただでさえも計算の苦手なフランス人なのだから、どこもかしこもスーパーは大混乱、長蛇の列であった。その日は雪ではなかったけど、寒くて、いや、雪がちらついていたかもしれない。記憶は相変わらず曖昧である。セーヌ川の河畔まで行くと、ポンヌフ橋の側面に「€」の今や見慣れたマークがカラフルにライティングされていた。ミレニアムの記念すべき通貨統合の日であった。その前年1999年にフランスのフェミナ賞外国人文学賞を「白仏」で僕は受賞した。授賞式はコンコルド広場のクリオンホテルで行われ、担当のメルキュール・ド・フランス社のマリ・ピエール・ベイ氏と出席した。作家は視野を広げるために外の世界を知らないとならない、とその頃から僕は考えていた。うっすらとパリへの移住を計画しはじめており、アパルトマンを探していた。あの頃から考えるともう20年近い歳月が流れている。つい、昨日のこと、のようだ。つい、昨日のような記憶・・・。僕は人生を振り返るのを好まない。お前は鉄砲玉みたいだ、と母親によく言われた。家を出たらなかなか帰ってこない子供だった。人生ばかり振り返っている連中を見ていると余計なお世話だが、もったいないな、と思ってしまう。過去の栄光は僕には必要ない。「あの頃はよかった」というフレーズを僕は使わない。「あの頃があったおかげだ」ということはたまに言うけれど、懐かしむというよりも、自分の現在位置をはっきりとさせるためのおまじないみたいな過去に過ぎない。だからかフォトアルバムというのを持ってないし、人に見てと差し出されるその人の過去を覗き込むのがあまり好きじゃない。僕が見ていたいのは今のその人だったりする。過去に縋るとどうしても今が影響を受けてしまうし、幾ばくかの後悔までおまけでついてくる。あの頃は若かった、あの頃は素晴らしかった、となると今に対して途端に不満が浮上する。若いことだけが人間の美徳ではない。僕は子供の頃から老いることに躊躇いがなかった。子供の頃からずっと死は偉大な謎だった。死をめぐる空想の絶えない子供であった。けれども、人間はいつか死ぬ。ならば、その最後を大団円にするためには今日を精一杯生きるしかないのだ、と気が付いた。いつでも死ねる。でも、一度しか経験できない。ならばそれまでに今と結託して過去を素晴らしいものにしていこう。その積み重ねが最高の死に出会える道を作る、と考えた。子供の頃の思い付きだけれど、僕は今日までそれを実践している。
オペラ地区の知り合いのスタジオに夕方、顔を出した。カメラマンの小田光と彼のスタッフがいた。カメラが室内の中心にどんと鎮座しており、いつものアンティークの椅子が壁際に置かれてある。僕はそこに腰を落ち着け、いつものようにカメラに向かって自分のことを語り始めた。小田さんのアシスタントが僕に質問を投げつける。「悪いけど、過去の回想はなしだよ」「じゃあ、辻さんは毎日何をしていますか?」僕は笑って、自分の一日について語りはじめる。小田光は僕の60年の思想・創作を映像に残そうとしている。僕はそれをほぼ拒否しながら、いつもカメラの前に座る。ほとんど意味のないことを僕は喋り続けていた。過去が嫌いな男のドキュメンタリーになんの意味があるのだ、と思いながら、僕は苦手な過去と向き合わされている。車のクラクションが聞こえた。雪が止んで通りに再び車が戻って来た。「辻さん、じゃあ、死生観についてお聞かせください」「いいだろう、少し長くなるけどね」と僕は答えた。