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滞仏日記「息子が一週間、会社で働くことになった」 Posted on 2019/01/22 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今朝、息子に僕のジャケットを貸した。僕には少し大きめの動きやすいストレッチのジャケットだ。見上げるほどに大きく成長した息子だが、だからかジャケットを着るとまるで新入社員のように見えた。15歳になったばかりなので、実際に就職するまでにはまだ7,8年、いや10年ほど時間がかかる。フランスの中学生は最後の学年の時に一週間、スタージュ(職業体験、研修、インターシップ)をやらないとならない。もちろん、成績の対象になるし、きちんとした公式の授業でもある。将来自分が働いてみたい関心のある会社を探さないとならない。親が手を貸してはならない。授業の一環として学校側が会社側に子供を委ねることになるので双方で細かな手続きをやる。大学生でスタージュというのは昔からよく聞いていたけど、中学生というのがフランスの凄いところである。しかも、それが成績に反映される。子供にとっては物凄い経験になる。まず自分で希望の会社に打診をしないとならない。秋ごろから息子はスタージュ先を探し始めた。彼は文化や音楽関係の仕事がしたいという希望を持っていた。僕が直接かかわるわけにはいかない。そもそも、日本人である彼をすんなり雇ってくれる会社はたぶんない。15歳になったばかりの子がいきなりそういう会社でスタージュできるわけもない。そこで彼は僕に内緒で僕の仲間たちに連絡をし、情報を集め始めた。僕の仲間たちはもちろん心配もあり、こっそりと僕に連絡を入れてくる。だから、彼の動きは筒抜けなのだが、まぁ、多少は大目に見よう。僕も知らないふりをし続ける。ところが息子のクラスメイトのイワンはレストランで働くことを希望していたが、全て断られてしまった。でも、彼の父親は一切イワンに手を貸さないし、アドバイスもしなかった。イワンは近所のカフェやレストランを歩いて巡り、5か月かかってやっと先週、見つけることが出来た。知り合いを頼った息子は世渡り上手と褒めるべきか、甘いと叱るべきか。正直判断がつかなかった。なので、「イワンのお父さんは偉いな、イワンを甘やかさないことが結局、彼を強い人にさせるんだよ」とだけ息子に言っておいた。

朝の9時半に出かけた息子は夕方の18時半に戻って来た。疲れ切っていたが、でも、何か小さなハードルを飛び越えることが出来た者の精悍な顔つきをしていた。「どんな仕事をしたのかな?」と訊ねると「インビテーションカードをパソコンで作らされて、それを封筒に入れる仕事をした。作業が手早いと褒められたよ」と嬉しそうに告げた。「みんなでコピー機の横で食事をしたんだ。パパのお弁当美味しかったよ」「明日はお前の好きなおにぎりにしてやろうか?」と提案したが、「いや、サンドイッチにしてほしい」と即座に断られた。一人だけみんなと違うものを食べるわけにはいかない、と判断したのだろう。「サンドイッチ、オッケー」と僕は告げた。息子は俯いて微笑んだ。「午後は何をした?」「社長さんにご挨拶に行って、いろいろと話をしてきた。それからスタッフの人たちを全部紹介してもらって・・・」どちらにしても息子は大人の社会で認められたようであった。もちろん、僕の知り合いたちは何も僕に連絡をしてこないし、こっちも連絡するつもりはない。そこには彼が自力でこれから構築していかなければならない彼の未来が広がっている。でも、順調な感じが伝わって来た。中学生のスタージュ制度は素晴らしいと思った。そういう子供たちを受け入れて大人の世界を教える会社も素晴らしいと思った。「君は将来何になりたいのかって、若い先輩に訊かれたんだ。音楽が好きです、と答えたら、音楽で食べていくのは大変なことだぞってパパと同じこと言ってた」「ほらね」と僕は笑った。でも、僕はそれを否定しない。なんだって大変なのだから、あとは自分が決めることだ。でも、そのきっかけはこういう研修の中で、子供たちなりに感じ取って掴んでいくことじゃないだろうか。僕の時代にはスタージュ制度はなかったが、最近は日本でもやってる学校があると聞いた。早い頃から大人社会を覗くことのできるこの制度は社会にいる全ての大人が先生になりうるし、全ての人から子供たちも学ぶことのできる実に素晴らしい「教育」である。そこで最初に感じたことがきっと子供たちの将来に大きな影響を与えることになるのであろう。それこそが「教えて育てる」本来の姿なのかもしれない。
 

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