JINSEI STORIES

滞仏日記「人間として、僕が思うこと」 Posted on 2019/01/19 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日はとにかく人の多い場所でたくさんの人たちと会った。ここパリでは、僕は基本子供の世話と執筆に明け暮れているので、いわば引きこもり作家ということができる。今回はシンポジウムの裏方としてかかわっていたので、物凄い経験となった。挨拶をされたり挨拶をしたり、いろいろと心を使ったり、気を配ったり。人間というものは確かにその数だけいろいろな人がいて、疲れさせられるし、同様に相手も僕に疲れたりしているのに違いない。その、人の思惑というのがあって、駆け引きがあったり、その思惑を忖度したり、駆け引きに関わらないように動いたり、でも、笑顔の裏側を想像してみたり、視線を先回りしたり、まさしく「人間とはなんぞや」ということを探るうえでは貴重な経験となった。偉い人たちとの間にいる人たちが僕に気を使っていて申し訳ないと思うこともあったし、無礼な人もいれば、自分勝手な人もいたし、心優しい人もいて、その都度、僕もそこに合わせないとならないので、普段人に会わずに小説と向かっている男にとっては人間に申し訳ないと思いつつも振り回される一日となった。しかし、人間というのは階級とか年齢とか性別とかで人を判断する人が本当に多いのに驚いた。僕は見た目がちゃらちゃらしているからか、「君ね」みたいな感じで話しかけてくる人もいる。暫く話していて、ちょっと頭にきたので年齢を告白すると、とたんに「あなたは」となる。今回の話ではないけど、僕は世界中どこにいてもそういう対応を受ける。とくに60歳近いとある程度のキャリアがあるのだろうから、貫禄の塊を鎧のように着て、威厳の仮面をかぶって生きている方が多いのも仕方がない。そういうものが僕にはないので、正直、面白い待遇に会うことが多い。時々、僕よりずっと年上の人が「辻さん、あなたは・・・」と語りかけてくださることがあって、自分もそういう人になりたいと思うことがある。しかし、なぜ、僕が立派そうな人たちとつるまないかというと、年齢や階級や性別でしかものを語れない人間が心底苦手だからだ。「何年生まれ? あ、じゃあ、俺の方が一年先輩じゃん」みたいなことを言う人間が僕は苦手だ。この銀河の中でなんて小さなことだろうと思わないか。立派そうな人と立派な人は別である。

そういう意味で、フランス人は年齢をほとんど持ち出さない。フランスの映画とか音楽の現場は偉い人も若造もみんな君言葉で仕事をしている。現場では「あなた」というのは逆に失礼だったりするのだ。Vousが「あなた」で、tuが「君」になる。この使い分けが凄い。ある瞬間、vousからtuに変わるのだけど、この時に友情が生まれるみたいで、年下の人に君と言われることを誇らしく思っている人も多い。日本とは違うな、と渡仏間もない頃によく思った。息子の親代わりをたまに引き受けてくれるブレロ家の人たちに僕は長年vousで会話し続けている。時々、息子に「パパは失礼だ。本当の友達がいつまでも出来ないのは言語で敷居を高くしているからだ」と怒られたことがあった。でも、これはしょうがない。なぜかというと僕はvousしか話せない。主語によってフランス語は全ての動詞が変化するので、人に滅多に会わない僕が、君言葉を話せるわけがない。まず最初に、誰もがvousから習う。努力はしているが、外の社会に出ない僕には君言葉はもっと敷居が高いのだ。それに、君言葉から入ると公式の場では更に失礼なことになる。国を代表するような立場の人にいきなり「君はいいやつだ」とは言えない。なので若者と話す時は最初に言い訳をする。「僕は丁寧な言葉しかつかえない日本人なんですよ。でも、対等に付き合ってくれませんか」と。若い人たちの反応は悪くない。

シンポジウムは女流文学の話がメインになったが、オーガナイズしておいて僕が言うのもへんだけど、僕個人には性別の話は分からなかった。「女性を侮蔑」という言葉が飛び交ったけど、僕もずいぶんといろいろな人に侮蔑されてきたので、女性だけの話じゃないのにな、という感想をまず持った。女性が小説を書くということの中に、平安時代は別として、そこにいろいろな闘争があったのだろうということはよく分かった。僕はマッチョでもないし、ことさら男社会で生きたことがないので、同時に、女性作家たちの男性を見る特別な感想を聞いて、そういう世界もあるのだな、と感じ、無知な自分をちょっと戒めておいた。総評を批評家のセカッチ氏が語った「争いもない、非常に友好的なシンポジウムでした」が僕には皮肉に聞こえた。でも、そういう意味では、日仏160周年に相応しい、心温まるシンポジウムだったのじゃないか、と思う。裏方なので、これ以上の感想は控えることにする。日本作家もフランスの作家たちもみんなかっこよかった。それは人間として。
 

滞仏日記「人間として、僕が思うこと」