JINSEI STORIES
滞仏日記「セラヴィという選択」 Posted on 2018/12/26
某月某日、この一週間徹夜が続いてなんとか期日であるクリスマスに(なんでクリスマスが期日なのか、竹書房に聞いてみたいけど)原稿を担当編集者の竹村さんに送りつけたら朝だった。息子が起きてきて、バカンスなのに二週間も何も予定がないのはよくないね、と小言を言った。小説を書き上げた興奮も手伝って、旅に出るか、という流れになった。これがすべての悲劇のはじまりであった。「欧州は地続きなので、車で行けるところまで行くか」と軽い気持ちで提案をした。国際免許証を調べたら、2020年まで有効であった。確かにどこまで行けるのかやったことがなかったので、この企画は面白いということになった。東ならモスクワまで行きたい。しかし、ロシアなどEU圏外に行くならビザが必要になる。ロシアのビザは結構手続きに時間がかかる。利便性と現実的な選択肢となればやはり欧州圏内がいいのじゃないかということになって、北ならオランダ、南ならイタリア、西ならポルトガルになるね、という結論に達した。イタリアだとスイスを経由しないとならないので結構大変だ。オランダはベルギーを経由して行く。でも、この時期寒いね、と僕。ポルトガルならばベアリッツからスペイン国境を渡り、サンセバスチャン経由で入れるかもしれない。しかも、暖かい。一度二人でロカ岬(欧州最西端)に行ったことがあった。ポルトガルの食べ物は何を食べてもシンプルで美味い。日本人の口に合う。イワシの塩焼き、豚肉とアサリの煮込み、バカリャウ、コロッケ、エッグタルト、etc・・・。ということで、暖かさと美味いもんを求めて、目的地はポルトガルに決定した。
じゃあ、出発しようかという段になって、でも、パパ、寝てないのに運転大丈夫なの? と息子に指摘された。考えてみたら、ここ一週間小説を仕上げるために僕はまともに寝ていなかった。平均、2、3時間の睡眠時間、しかも昨夜は完徹である。さすがにふらふらしている。残念だけど万全とは言えないので車はやめて飛行機で行くことになった。飛行機ならば機内で2時間半は眠ることができる。車で行く場合、1日がかりになるだろう。ネットで調べたら比較的安い格安飛行機会社のチケットが残っていた。
道ががら空きでパリ南部にあるオルリー空港に出発の2時間半前に到着してしまった。欧州ではeasyjet,vuelingをはじめいろいろな格安航空会社が運行している。今回の飛行機会社ははじめて経験するA社だ。格安会社なので飛行機までは10分ほどかけてのバス移動、これは仕方ない。オルリー空港の一番外れにある陸の孤島のような小さなターミナルにはじめて踏み入った。なんとカフェもなく、コーヒーベンダーが一台ぽつんとあるだけ。ところがである。電光掲示板のボーディングタイムが不意にディレイ(遅延)と出た。確かに、そもそもゲートの先に飛行機がいないのだ。待っていた乗客からため息が溢れた。こういうこともあるだろうと僕はパソコンを取り出し今この日記を書き始めた。すると、驚くべきことに遅延がさらに1時間半増えた。ここでフランス人たちが騒ぎ出し、ゲートにいる地上係員を数人が取り囲んだ。僕も立ち上がり彼らの輪に加わることにした。なかなか経験できることじゃないから、後学のために、取材をする。
ジレ・ジョーヌ運動もそうだけど、フランス人のこういう連帯意識からの行動原理に関心がある。一人のムッシュが「昼時なのに、カフェも何もないここで3時間待たせる気か」と文句を言った。「私たちはA社に雇われた下請けの人間だからわからない。ここでお待ちください」と係員が反論をした。「バスをだせ!」と声が飛んだ。「私たちにはわからない」と係員。別のマダムが「じゃあ、私たちの声を上にあげなさい」と主張した。ここまでの流れがすでに日本人とは違ってる。この主張とか権利とか、やっぱり自由を発明した国の人たち、ひかない。別のムッシュが「クリスマスで家族団らんの食事会の約束がある。それに出席出来ないじゃないか?」と文句を言った。別のマダムが「そもそもなんでこんなに遅れるの?」と聞いた。「ストライキに入ったんです」一同から怒りの声があがった。「なんで!クリスマスなのよ!」すると別の乗客が「クリスマスにした方が会社が困るから効果があるんですよ」と肩を竦めてみせた。この人はジレ・ジョーヌかもしれない、と僕は思った。詰め掛けて抗議する人の輪がどんどん大きくなった。地上係員は電話で上に現状を伝えた。結局、A社はチケット代を払い戻すこと、バスでメインターミナルに乗客を戻し、食事を提供すること、を約束した。「払い戻しなんかどうでもいい。私は今すぐリスボンに行かないとならないんだ。クリスマスなんだよ!」と別の誰かが怒鳴った。「いつ飛行機は来るんですか?」と僕が質問をした。「結局、ここに来るはずの飛行機は来なくなり、シャルル・ド・ゴールで整備が終わったばかりの別の飛行機がまもなく離陸します」車で30分の距離にある別の空港から45分かけてここに飛んでくるのだという。ここで一同からため息がこぼれた。そして全員がフランス語でこう言ったのである。実に全員がこう言った。C’est La France! 訳すなら「これがフランスだ!」ということになる。
この言葉を告げた途端、全てのフランス人が納得して席に戻った。同じような魔法の言葉に「セラヴィ」というのがある。「それが人生というものだ」になる。この二つを発明したフランス人は最後の最後でこれを使う。友人が自殺をした時、仲間たちが悲しみを乗り越えて「セラヴィ」と言った。それで納得しないとならないのが人間の宿命なのだ、と言いたいのであろう。もうこれ以上はどうしようもない時に、最後の最後に使う言葉でもある。僕も17年この国で暮らしているのでこの常套句を時に使う。人間はたまに諦めないとならないこともある。そういう不条理を乗り越えなければならない時、便利な言葉かもしれない。さて、この旅には続きがあるのだけど、とっても眠いので筆を置くことにする。果たして、僕らはポルトガルに到着することができるだろうか。旅は実に面白い。