JINSEI STORIES
滞仏日記「小説家の仕事」 Posted on 2018/12/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、世の中はクリスマスだが、今日、小説を一つ書き上げた。同時進行で二つの小説を書いていた。一つは文藝春秋社から依頼されて書いている作品、そしてもう一つが竹書房から依頼されていた作品、どちらも愛に関する小説には違いないのだが、文春の方がパリを舞台にしたとっても怖い小説でもしかするとホラー小説に属するのかもしれない。パリには無数の都市伝説があって、これが本当に怖いので調べていたらはまった。霊界を咆哮しているような小説とでもいうのか、パリにはカタコンブみたいな場所もあれば、セーヌ川沿いにはルイ王朝時代の処刑場なんかもたくさんあって、人肉を売っていた肉屋とか、あちこちに怖い話が残っている。日本の幽霊は陰湿な怨霊じみたものが多いけど、フランスの幽霊は正直破壊力があって、エクソシストじゃないが、国民性の違いか、肉食系の怖さに溢れている。僕は今回、建物にとりついた霊のことを書いている。僕が暮らすアパルトマンも18世紀末に出来た歴史ある古い建築物で、なにげなく壁をじっと見ていると声が聞こえてきたりして取材にはことかかない。パリの建物は隣の建物と壁で繋がっており、要塞のようで、上空から見るとその統一感に驚かされる。ある意味で都市自体を一つの生き物としてとらえることもできる。ボルタンスキーじゃないが、その壁から滲みだしてくる怪奇をこそ作品にしてみたいのだが、どのような作品に仕上がるのか、現時点ではまだ作者にもわからない。わからないからこそ書いていて楽しいということもできる。
竹書房の方はこちらも一筋縄ではいかない小説で二組の夫婦のジェットコースター的な感情の小説? 一度乗ったら降りるまで止められない、映像的なカットバックをふんだんに取り入れており、物凄く文体速度の速い心理小説となった。言いたいことは文春の作品に負けないほどあるのだけど、たった今、書き上げたところなので、言葉がまとまらない。ラストスパートのこの一月間は、毎日、十数時間は執筆に割いてきた。この作品も生まれて初めて見つけた手法、人間の心象のみで描いている。情景描写が面白いほどにないので、雪景色も出てこなければ、極端な話、雨が降ることさえもない。もっと言えば、地名も季節も苗字も何も描かれていない。手抜きをしたわけじゃないのだけど、必要ないものをあえて書かないとどうなるか試してみたら、説明を全て省いて真っ裸にさせてしまった方が面白いことに気が付いて、のめり込んでしまった。のめり込み過ぎて、今はちょっと放心状態である。ここからゲラになり、赤が入って、直しをして、いろいろとあって、印刷されて、書店の方々の手を通り、待ってくださっている読者の方々の手元に届くことになる。もう一息だ、がんばらなきゃ。
全く文体も速度も中身も異なる小説を同時に書いてきた。来年は作家生活30周年の一応記念すべき節目の年なので、恥ずかしくない作品を世に送り出さなきゃならない。しかし、小説家の仕事というのは自分で自分を律し、管理をしないとならない家内制リモートワークのようなもので、ようは自分次第ということである。書き続けないと明らかにならない何かがあって、まさに回遊魚のように死ぬまで泳ぎ続けることになるのだろう。給料があるわけじゃないし、ボーナスがあるわけでもないし、社会保険もないし、有給休暇もないし、自分の肉体と根性(気力とガッツ)だけで続けるしかない仕事。まさに因果な商売だと言わざるを得ないが、でも、30年もこれで生活してきたのだな、と思えば感慨深いものもある。まだまだ、僕は書き続ける。あと30年? なんて、ずうずうしいのであろう。そうじゃなければ作家など続けられるはずもない。