JINSEI STORIES
滞仏日記「隣人たちに招かれて」 Posted on 2021/07/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、田舎に来たはいいが、することがない。
暇なので息子に、何食べてんのー、とSMSを送る。ピザ、と一言戻ってきた。
子供たちが共同生活を送っている南仏の村がどの辺にあるのか、ぼくにはわからない。でも、ぼくのいる場所からだいたい1000キロは離れている。
こうやって、どんどん離れていくのだな、と思った。
日頃、子育てというのは面倒くさいくせに、いざ子供が離れはじめると、やることがなくなって、途方に暮れてしまうものだ。
とりあえず、夕飯の買い物に出かけることにした。
買い物籠を持って、階段を下りていると、フィリップ殿下にそっくりな紳士とかち合い、ボンジュール、と声をかけられた。
背がすらっと高くて、鼻筋が驚くほど通っていて、品のいい顔と佇まいを持っている。似ているので勝手にフィリップ殿下とあだ名をつけた。
「何か困っていることがあれば、言ってくださいね」
「ありがとうございます。今のところ快適ですよ」
「そうだ、夕方、うちの庭で軽くアペリティフやりますが、顔出しませんか? ぜひ、お近づきのしるしに。あなた、日本の作家なんですってね。みんな小説好きですから、きっと盛り上がるでしょう」
暇だったし、寂しかったので、甘えることにした。
実はぼくが住むアパルトマンが入った建物の裏側に、手入れの行き届いた広い庭がある。この庭の所有者はフィリップ殿下なのだ。
ほかの住人たちはアクセスできないような造りになっている。
でも、フィリップ殿下とエリザベス女王は優しい方々で、隣人をよく招くのだ、とカイザー髭さんから情報を得ていた。君も、いつか、誘われるはずだから、愉しみにしておきなさい、と・・・。その日が、思わず、巡ってきた。
人の家に招かれるのに、手土産もない。
そういえば、自分の本があったな、と思いだし、仏語版の拙著「白仏」に、さっとサインをし、それを持って顔を出したら、わわわ、オールスターが勢ぞろいであった。
一階のフランケン夫妻と下のカイザー髭夫妻まで・・・。
カイザー髭が、やあ、来たね、待ってました、と言った。その隣のハウルの魔女、大きな目をぎょろっとさせて、ぼくを微笑みながら見ている。に、似てる。
その隣に座る、フランケンさんは相変わらず明後日の方を見て、ぼんやりしているし、シラク大統領の元夫人にそっくりなベルナデッドがぼくに横の席に座るよう促した。実に社交的で、このメンバーの中では一番心を許しやすい感じ。
フィリップ殿下はかなりの紳士だが、その横に座るエリザベスさんは圧倒的なオーラがあって、一瞥され、会釈をされただけなのに、ぼくは物おじしてしまう。
とりあえず、持参した拙著を、フィリップ殿下に差し出した。それを一同が覗き込んだ。へー、君がこれを書いたのか、と言ったのはカイザー髭である。
「ぼくも読みたいな」
皆さんに差し上げたいが、実は、版元(単行本がメルキュール・ド・フランス、文庫版がガリマール社)が在庫切れで、探したけど、どこにもない。
増刷の予定も今のところないらしく、差し上げたいけど、ないので、差し上げられないのです、とぼくは言った。
よければこれを、回し読みしてもらえますか、とお願いした。とりあえず、この夏の間、順番に貸し出しされることになった。めでたし。
フィリップ殿下がみんなにカクテルを作って、ふるまっていた。それはカンパリがベースの「ネグロニ」と呼ばれるカクテルだった。赤色が、鮮やかだった。
「しかし、小説って、どうやって書くの? どうやって、主人公の生い立ちとかキャラクターとか思い付き、殺したり、生かしたり、するのかしら」
不意に、エリザベス女王に訊かれた。年齢はわからないが、ぼくよりはうんと上だと思う。ぼくの母親くらいかもしれない。背筋を伸ばして、両手を膝の上に置いて、物静かに語る。
その口調が室内楽を訊いているように優しく流れていく。横で、殿下が、微笑みながら頷いている。いい関係だな、と思った。
「そもそも、どうやって、小説が出来上がっていくのか、知りたいわ」
やばい、返答に困った。小説の書き方とかいちいち考えて書いたことがないのだ・・・。
「いや、それはぼくも知りたい」とカイザー髭が横やりを入れてきた。
「私も知りたいわ」とハウルの魔女・・・。似てる。
実はぼくも知りたい。いや、マジで、毎回、どうやって書くのかわからないのだ。変な話しだけど、設計図があるわけじゃなく、主人公のスケッチとかも無いし、だいたいが、こういうのを書こうと思って、もちろん、テーマに沿って調べたりはするけど、ああだこうだ悩んでいると、ある瞬間から、いきなり筆が動き出す。そういう書き方を説明しても納得してもらえるはずがない。
「やっぱり、最初に、あれよね、プロットとか綿密に考えるのでしょ? 設計図みたいなものがあって、それに沿って肉付けしていくのかしら? キャラクターのイメージとか、たとえば、この人をモデルにしようみたいな、おありになるんでしょ?」
面倒くさいので、小さく微笑んで頷いてしまったが、そういう時もあるし、ない場合もある。でも、なんと言えばいいのかわからず、小説というのはいろんな書き方があるのです、とごまかしておいた。その通り、いろいろな書き方がある・・・
「その時、天から降りてくるようなものでして、・・・」
「それは興味深い。ところでこの話しは何についてのお話しなのかね?」
拙著「白仏」の仏版をフィリップ殿下が指し示した。ハウルの魔女がぼくを振り返った。うわああああ、似てる。ハウルの魔女だぁ。ぎろっとした大きなおメメがぼくを捉えた。知りたいわ、とうっとりするような感じで言った。・・・眼力、強すぎる。
横にカイザー髭、その横のフランケンは明後日の方角を見上げながら、そうだね、興味深いことだね、とどうでもいい感じで頷いているし、その横で、ベルナデッドさんが、背表紙のあらすじにサッと目を落とし、
「実話をもとにして書かれた歴史小説なのね」
と言った。
「あの、簡単に言いますと、ぼくの祖父が、祖父の故郷の島にある、多くの墓を掘り起こしてですね、先祖の骨を集め、それを砕いて、一体の白い仏像を作るまでのストーリーなんです」
全員が、目を見開いて、恐ろしい形相になった。誰も微笑まなくなり、・・・じっとぼくを睨みつけてくる。そっちの方が怖かった。
「なんですって」とエリザべス女王。
「骨を砕いて、どうするって?」とフランケン・・・。
「粉砕機を使って、数千もの人骨を砕き、それをセメントでつないで、そうですね、このくらいの仏像を作ったのです」
ぼくが仏像の大きさを示すと、ハウルの魔女が、めっちゃ恐ろしい形相でぼくを見つめ、数千の人骨ですって、と吐き捨てた。なんでそんなことになったの?
「あの、小説を読んでもらえますか? 説明が難しく」
明らかに、穏やかな初夏の気分をぼくは破壊してしまったようだった。
彼らの頭の中に、数千体の人骨で作られた白い仏様の絵が浮かんでいるようで、ちょっと、ぼくは後悔した。そもそも、心地よいラブストーリでもない。夏の昼下がりに読むようなものじゃない。
「そういうのは日本ではよくやることかね」とフィリップ殿下がぼそり、・・・。
「珍しいことでしょうね。だから、それを書こうと思いついたのです。なんで祖父がそのような仏像を作ろうと思ったのか、知りたかったから、・・・自分が祖父の人生をなぞることで、その意味や謎を解明しようと思いまして・・・。この作品に関しては、母や祖父の知りあいを取材しています。そうですね、ぼくの作品では珍しく、これは取材を綿密にして書いた作品です。ある程度、時代背景を掴んでから一気に書きました」
太陽が降り注ぐ、七月のフランスの田舎の昼下がり。ぼくははじめて招かれた隣人たちとのアペリティフの席に、ちょっとオドロオドロしい奇妙な空気をもたらしてしまったのである。
「まずは、ぼくから読んでみよう」
フィリップ殿下がそう告げ、ぼくの本を手に取った。それから、ぼくらはネグロニで乾杯をした。赤い血のようなカクテルだったけれど、夏に相応しい、そして、この館にまさにぴったりのお酒であった。
つづく。