JINSEI STORIES

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」 Posted on 2020/11/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、フランスは全土で商店が営業可能となった。
そして、これまで移動制限が一時間一キロ以内だったのが、3時間20キロまで移動できることになった。
今日、古いアパルトマンで水漏れ工事のための検査を急遽やることになり、行かないとならなくなった。
すると息子が「あっちに行くなら、ちょっと必要な本とかがあるから一緒に行く」と言い出した。
「じゃあ、ル・ボンマルシェ(デパート)の食品館にワインを買いに行きたいから、運ぶの手伝え、もちろん、2ユーロ(300円)のお駄賃付きだぜ、いひひ」と言って雇った。
「安っ」とニヒルに笑っていたけど、金欠の16歳、2ユーロでも大金なのである。
しかっかり手伝ったら、3ユーロにしてやるつもりだった。
「ケチっ」だぁ、…えへへ。



古いアパルトマンのある街に着くと、アンティーク屋のオランダ人、クラウスが、るんるんるんな感じで、店を開けていた。
「やあ~、ムッシュ・ツジー。ついに、店が開くんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
「よかったね。長かったものね」
「ああ、これからクリスマス商戦だから、頑張らないと。稼ぐぞー、クリスマスギフトは当店で!」
「はーい」
本屋のクリスティーヌも、ぼくらを見つけて通りの反対側から手を振った。
「開いたわよ。いつでもいらっしゃい」
「はーい」
ブティックや食器店、花屋、おもちゃ屋、文房具店などがシャッターを開け、クリスマス仕様の飾りつけをやっていた。
もちろん、みんな笑顔であった。

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」



水漏れ工事の人がやって来て、壁の湿度を測り、「あらら、まだ70%も湿度ありますね、年内の工事は無理だ、旦那」と言い残して、帰っていった。
「何なの、この家」
息子が笑い出した。どうやら、永遠にもう住めないのかもしれない。
まさに、ザ・フランスであった。
そこでぼくらは早々にそこを離れ、ル・ボンマルシェへと向かったのだ。

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」



デパートが近づいてくると、途端に凄い人出となった。
普通に歩道を歩けないくらいの人、人、人で溢れかえっていた。
とくにル・ボンマルシェ周辺は大渋滞の大混雑、初詣かというほどの人だかり。
何度か立ち止まらないとならなかった。
というのか、ル・ボンマルシェの食料品館も本館も、入場するために、ビルを一周するほどの人の行列であった。
「だって、パパ、考えてよ。今日から商店開いたんだし、もうすぐクリスマスだから。それに、8平米に1人という制限でしょ、検査も時間かかるし。入れるわけないよ」
「ってか、この長蛇の列の中に感染している人が間違いなくいるだろ」
「いるよ、陽性率が12%くらいなんだから、ぼくらの周辺に数人はいる」
「ゲッ。帰ろうか」
「だね。って言うか、おかしくない?」
息子がニヒルな笑みを浮かべて、小首を傾げた。
「何が?」
「この光景だよ。これロックダウンの景色に見える? まがりなりにも12月15日まではフランスは全土でロックダウンなんじゃないの?」

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」

地球カレッジ

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」



ぼくらはル・ボンマルシェ正面の公園に避難した。
そこも大勢の家族連れで賑わっていた。
回転木馬の順番を待っている家族連れがたくさんいたし、砂場にも、芝生の上にも、そこかしこに、人だかり…。
息子は周囲を見回しながら、ニヒルな笑みを浮かべた。←最近、ハードボイルド風になってきた。
ふん、と鼻で笑って、口元を片方だけ緩めてみせる、シャーロックホームズか、お前は!
「パパ」
「はーい」
うーむ、おかしな親子の会話である。

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」

「商店は開けていい。20キロまで移動できる。じゃあ、なんで、カフェとかレストランはダメなの? それ、いじめじゃない?」
「たしかに。しかしな、一応、夜間は出歩けない」
「でも、24日のクリスマスイブと31日の大晦日だけは外出禁止令が適用されないんでしょ? それもっとおかしくない? 24日も31日も若者たちがどーんと市内に繰り出し、間違いなく、朝までどんちゃん騒ぎでしょ? 絶対、感染拡大するでしょ」
「分かってると思うよ、フランス政府」
「分かってるの? なんで? 24と31日を解放するの?」
「だって、クリスマス・イブと大晦日を外出禁止にしたら、この国、さすがに暴動が起きるだろ」
「まあね。なるほど、じゃあ、また2月にまたロックダウンってこと?」
「あり得るけど、どうかな、さすがに、1月20日にカフェとレストランはオープンになるから、2月に感染拡大してもすぐにロックダウンにはならないと思う。暫くは閉鎖出来ない」
「じゃあ、また感染者が増えての繰り返しだね」
「仕方ないよ、ペストの時もそうだったから」

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」



ぼくらは、軽い絶望を抱えながら、人々で賑わう大通りを新しいアパルトマン目指して歩いて戻ることになった。
ぼくはチェーン店のカーヴで数本のワインを買って、半分を息子に持たせた。
「ババとか恒ちゃん(ぼくの弟)、元気かな? 日本はどうなんだろう?」
「日本も感染者増えてるよ。今日は2700人くらい、一日の感染者としては過去最多だって」
「増え始めると一気に増えるから、ババが心配だな。85歳だから」
一万キロ離れているので、どうすることも出来ない。弟に任せるしかない。
「あれ? パパ、今日、恒ちゃんの誕生日じゃないの?」
「あ、本当だ」
「ラインする?」
「しよう」
ぼくらはリュクサンブール公園の入り口で携帯を取り出し、おめでとう、と打って送った。どこかで誰かが生まれ、どこかで誰かが亡くなり、どこかで誰かが誕生日を迎えている。それが今日という日であった。

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」

ちなみに本日、レピュブリック広場で政府が成立を急いでいる新治安法に反対する大規模なデモ(4万6千人規模のデモ)があり、再び、警官隊と市民が激しい取っ組み合いをした。
あちこちに火の手があがり、誰のベンツか知らないけれど、まる焦げになってる映像が流れていた。
今日のニュースは商店が開いたことよりも、この治安法に反対する暴徒化したデモ隊と警官の激突話題ばかりであった。
これも同じ一日の中で起きた出来事である。
テロ、コロナ、デモ、…フランスって、いったい、どうなってるのだろう?

その一方で、忘れ去られたように、カフェはドアが閉ざされ、椅子が積み上げられているのだった。

滞仏日記「これがロックダウンかという光景、ぼくと息子は目を見開いた」



自分流×帝京大学
地球カレッジ