JINSEI STORIES

滞仏日記「自由と忍耐のあいだ」 Posted on 2019/03/20 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、バーでたまたま隣同士になったムッシュと人生について語りあった。
このバーではたまに見かける中年紳士で、たぶん、この建物の上階に住んでいる。
時々、娘さんらを引率して歩いているのを目撃したことがある。
「人生は一度キリだからさ、楽しく生きたもの勝ちだと思わないか」とムッシュは言った。
「苦しんで生きても、楽しんで生きても、どっちも一生なんだから」とビールを胃に流し込んでから吐き捨てるように付け加えた。
関わらない方がよさような飲みっぷりだったが、僕はからまれるのが嫌いじゃない、という面倒くさい性格。
「どうかな」と小さく呟いておいた。
「だったら、楽しいことをして、いつも笑って、嫌なことは見ないで、幸せに生きた方がいいに決まってるじゃないか。なのに人間はみんな辛い方へ、悪い方へ、面倒くさい連中にへ~こらして、いったいどんだけ馬鹿なんだ」と彼は自分に言い聞かせるような感じで吐き捨てた。



息子がストラスブールに研修旅行に行ったので、仕事帰りのフランス人たちでごった返す行きつけのバーに入ったのが運の尽きだった。
夜の一杯目はマルガリータと決めている。
バーマンが、マルガリータを僕の前に差し出しながら、関わるな、と合図を送ってきた。
この絡まれ方は西荻窪に住んでいた頃によく経験した。国は違っても、酔ったら人間は一緒なのだ。
僕が思い出し笑いをしたら、その人は「何がおかしい」と怒ったので「馬鹿で結構だよ」と日本語で返した。
その時、息子からSMSが入った。夜の何時ごろにパリに戻って来るのか、とフランス語でメッセージを送っていたことを忘れていた。
彼の答えは「JSP」だった。JSP?・・・意味が分からない。
携帯をムッシュに見せた。「あ~、je ne sais pas(知らない)の略だよ。
SMS用語だ」と教えてくれた。
息子とはフランス語でやり取りをしているけど、正直、全てを理解してやることができない。
こういうメッセージを貰っても日本のオヤジにはわからない。
どんどん言語の距離が開いていく、面倒くさい。

地球カレッジ

そこで僕はムッシュに「あのさぁ」とからんだ。
ムッシュはビールを飲み干して、僕を振り返った。
「楽しいことだけをしていたいよ。毎日、僕だって笑って生きてたい。幸せでいたいけど、そうはいかないんだよ。いろんな連中が余計なおせわをやくし、言いたいことを言いやがる。丸く収めたいとは思うけど、そうは問屋が卸さない。綺麗ごと並べたって、その通りになるならだれも苦労しない。わけのわからない連中がわけのわからないことをふっかけてくるのが世の中で、別にぺこぺこしているわけじゃないけど、若造が偉そうにするし、金持ちは見下してくるし、息子はJSPだし。こっちはまじめに生きているのに、面倒くさい連中にへ~こらしないとならない時もあるんだよ。あんたが言うように誰だって楽しく生きたいさ、でも、そうはならないのが世の常だ」と言ったら、ムッシュが目を丸くして顎を引いてしまった。
言い過ぎたと思った時には、その人は自分の世界に閉じこもってしまった。
バーマンと目が合った。彼が肩を竦めたので気まずい感じになった。何か申し訳なくなったので「ビール、二杯」と注文した。一杯をムッシュに差し上げた。
「楽しく飲みましょうよ」と僕は言った。
「そうだね」とその人は穏やかな声で呟き、僕たちは軽くグラスをぶつけ合った。
「あんた、大変なの、人生?」とムッシュが訊いてきた。
JSP、と僕は返して笑った。するとその人も笑った。



僕は一パイントのビールをぐいと半分ほど一気に飲み干した。
マルガリータの次はビールと決めている。
ビールで乾きを潤してからの三杯目はウイスキーサワーだ。
携帯をカウンターの上に置き、息子からのメッセージを待ちながら、僕は僕の人生について思いを巡らせた。
儘ならぬが浮世の常、とはよく言ったものだ。
人生は自分の思い通りにならない、ということか。
我儘の儘がならないということで、我儘にできないわけだ。
どうせ一度の人生だからこそ、我儘に生きたい。でも、儘ならないのが世の常である。
「あんたたちフランス人は自由を発明した。僕ら日本人は忍耐を発明した。
僕はいつも自由と忍耐のあいだで生きている。本当の自由は忍耐の中にこそある」そう言い切った直後、息子から『パリに着いた』とメッセージが飛び込んできた。
夜の九時を過ぎていた。
バーマンに会計の合図を送ってから席を立った。
「おや、もうお帰り?」とムッシュが寂しそうな顔で僕を振り仰いだ。
僕は残ったビールを飲み干してから、「息子を迎えに学校まで行かなきゃならない。飲んでいたいけど、それが僕の役目だから」と言い残した。
面倒くさいとは思わない。
それを全部引き受けてこその我が人生である。
 

滞仏日記「自由と忍耐のあいだ」

 

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