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退屈日記「自分を好きになっていいと僕は思う」 Posted on 2020/08/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、自分とは何だろうね。僕は今日ずっと考えていた。というのもここのところなんか調子が出なくてね。そういうことあるね、僕はしょっちゅうある。よっこらしょ、というのが口癖になりつつある。

自分が消えてなくなりそうになったり、崩れて壊れてしまいそうになったり、海辺の砂の城みたいな、急に脆いものになったりと・・・。そういう時は必至で自分を維持しようとする。具体的な方法はないのだけど、ちょっと一度走るのをやめるとか、しゃがみこんでしまうとか、エンジンを切るとか、再起動するみたいなことを自分の中で試みる。

「中で」と思わず出たけど、自分の中がどんなふうになっているのか、そもそもわからないのが自分だからね。自分というから一番自分を理解しているような気がするけど、実は自分のことなのに、自分とこんなに長く付き合っているにもかかわらず、自分のことわからないことが多すぎる。

退屈日記「自分を好きになっていいと僕は思う」



そもそも自分ってなんだろう。よくわかっていないから、思い描いていたイメージとのギャップが大きくて、自分が壊れそうになるのかもしれないね。

ちょっと待った。おちつけ、おちつけ、と自分に言い聞かせて、ついさっきやっと自分を宥めて落ち着かせたところ。僕はそういう時、必ず胸の中心を手で優しくこする。そこらへんに自律神経が集中しているから、こすっていると落ち着いてくるよ。

自分と一言で言っても、実は頭もあれば心もあるし、精神とか魂とかいろいろ。上腕二頭筋とかお尻の肉も自分の一部だし、アキレス腱やあごの関節とかも自分なんだよね。全自分に向けて僕は小休止と言うんだよ。

僕の各自分を動かす小さな僕がいて、そういう連中がみんなとりあえず椅子に座って休んでる感じをイメージするといいんだ。で、その小さな自分たちっていうのは白雪姫とかに出てくるとんがり帽子をかぶった小人さんたちみたいな存在、精霊みたいな僕たちで、働き者の彼らを労わることが、つまり、僕を維持する秘策ということになる。

退屈日記「自分を好きになっていいと僕は思う」



その中でも心臓だけはずっと休まず働いてくれていて、偉いなぁ、といつも感動させられる。心臓が休んじゃったら僕は死んじゃうからとんがり帽子の心臓担当の僕だけは休まず働いてくれていて頭が下がるね。

だから心臓の音を聞くとこっちも「がんばろう」という気になる。自分の心臓の音を聞く装置があって、それで時々、鼓動を聞いてる。ありがとう、自分。僕もがんばるよ、ということなんだ。自分を好きになっていいと僕は思う。

人生いろいろとあるけど、無理せず、自分をいたわりながらぼちぼち行きましょう。まずは、ぐっすりと眠ってみるのもいいよね。目を閉じて、自分に向けて、ありがとう、と呟いてみたりしながら…、力が抜けて、楽になるよ。

よっこらしょ。

退屈日記「自分を好きになっていいと僕は思う」



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