JINSEI STORIES
リサイクル日記「無気力からどうやって気力を取り戻すか」 Posted on 2022/08/21 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、頑張って生きているけれど、毎回、全部がうまくいくことはない。
人を信じて騙されることもあるし、思い通りに作品が生まれないこともある。
ぼくのような自由人でも「無気力」に襲われることはしょっちゅうあって、結構、苦しいんだ。
そこでネットで「無気力とか挫折から抜け出る方法」はないか、と検索をしたら、いろいろと出てきた。
「自分のダメなところを紙に書いてみれば、自分のダメなところがわかって楽になる」というのがあって、思わず吹き出してしまった。
それはごめんだ。そんなことを真剣にやる人間がいるだろうか?
紙に書いてる段階で、もっと強い無気力に襲われてしまうのじゃないかな。
じゃあ、どうする?
ぼくはどうやってこの、無気力から気力を生み出せばいいのだろう?
そんな凄い方法があるなら、みんなやってるだろう。
でも、とぼくは鏡に映った酷い顔の自分を覗き込む・・・。
そもそも無気力なら、無理して気力をだそうとか思わないでいいんじゃないか。
頑張ろうとするのは逆によくない。
なんだこんなもの、と思ってほったらかしてていいんじゃないか、と思う。
なんとかなる、とか適当なことは思わないけど、ダメな時はダメでいいんだ。
そういう時もあるのが人間だし、ぼくのようにずっと大変が続く人間もいる。
なんなら、その大変の中でちょっとした「いいこと」とか「素敵なこと」とか「嬉しいこと」を見つける天才になって、この酷い環境に適応していけばいいのじゃないか。
あのね、死にたいと思ったことは何度かあります。でも、死んだことはない。
結論からいうと、死ななくてよかったと思うよ。
こんなぼくの駄文にも共感してくださる人がいるし、ぼくがご飯を作ることで元気に生きてる息子(反抗期だけれど)もいる。年老いた母さんだって、骨を折っても頑張って生きていてくれるし。
彼女が頑張ってることでぼくがどれだけ救われていることか。人間という生き物は、気が付かないだけで実はみんなで支え合って生きている。
そういうことの中に、ささやかだけど「有難い」ことがいっぱいあることを発見することが出来る。
無気力の中に咲く花、だと思う。
その無気力花こそ、ぼくが日々、大事にしているものなんだ。死にたいと思ったってかまわないけど、生きてほしい。
その小さな花を見つめながら、生きようよ、一緒に。
それだけです、今日の日記でぼくが言いたいことは。
この花を見てほしい。何もないところからこんなきれいな花が咲くんだ。生きよう。