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滞仏日記「カルロス・ゴーンさんの作業着」 Posted on 2019/03/07 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日、カルロス・ゴーンさんが保釈になったというニュースをフランスのニュースサイトで知った。割と淡々と事実だけを伝えるニュースで、今のところこちらでは大きく扱われているという印象はない。(多分、明日以降の報道で大きく扱われるのかもしれないし、もしかするとそこはフランス人にとって現時点ではあまり重要ではないのかもしれない)でも、拘置所から出てきた彼の恰好を見た時、僕は違和感を覚えた。彼が変装して出てこなければならなかった理由は知る由もないのだけど、彼が着ていた作業着が気になった。蛍光塗料線が二本、肩から腹部へかけて伸びていて、これは作業者が事故にあわないようにするための工事現場などで着る安全作業着なのである。去年の11月からフランス全土で吹き荒れている黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動のデモ隊が着ている作業着と重なる。オレンジか黄色の差があるにしても、これらはどちらも高視認性安全ベストなのである。僕はこの日記でも書いたけど一度デモ隊と一緒に行動をしたことがあった。彼らにぶつけた質問「カルロス・ゴーンさんのことをどう思うか?」に対して、彼らは「僕らは労働者の代表なので彼を擁護できない」と口を揃えた。では、なぜ、ゴーンさんは変装のためとはいえ、このオレンジ色の二本線が大きく入った高視認性安全作業着を選んだのか。僕は何度も自分の目を疑った。この作業着を着て出てきたことに明日以降フランスでどのような反響が起こるのかも気になる。色は違うけれど、作業員が事故にあわないために目立つ色の塗料を使った作業着には変わりない。ジレ・ジョーヌたちが敵とみなすその最先方にいるゴーンさんが保釈の日に高視認性安全作業着を着て出てきたことが皮肉なのか、メッセージなのか、もちろんたまたまかもしれないけれど、気になって仕方がない。仮にたまたまだとするならば、あまりにKYな印象を受けざるを得ない。オレンジラインの入った作業着を着たご自身の写真や映像がフランス全土で流れることになるのだから・・・。デモを繰り返す労働者たちの目にどのように映るのであろう。

一つ、面白い記事を見つけた。フランスの弁護士、ジャン・イブ・ルボーニュという人が「20 minutes」という媒体で書いた記事である。この人物はゴーンさんが作業着を着て出てきたことについて、このような見解を示している。「彼は他に着るものがなかった。なぜなら昔より10キロ痩せていて、服が着れなくなっていたからだ」というのである。しかし、これはどうも変じゃないだろうか。じゃあ、あのマスクはなぜする必要があったのか。あの眼鏡は、まるで目つきや特徴的な眉毛を隠す道具としての眼鏡に見えて仕方ない。それにあの帽子。着るものがなくてたまたま黄色い線の入ったジャケットを着るしかなかったとしたら、あの帽子をかぶる必要があっただろうか? でも、上から下までびしっと高視認性安全作業着で現れる意味が僕にはよくわからなかった。他のフランス報道で目立ったのは、今回の保釈が日本において異例であったことに触れながら、新しく弁護士になった弘中さんの力量についての記事が多い点であった。

フランスで暮らしている僕の個人的見解だが、3か月ほど続いているジレ・ジョーヌ運動とカルロス・ゴーンさんの逮捕劇が根っこのところで繋がっている気がしてならない。だからか、僕には拘置所から出てきたゴーンさんの恰好に驚いた。階級社会であるフランスを揺るがすこの二つの出来事はたまたま同じ時期に起こり、不思議な接近を繰り返している。それにしても日産がこの裁判を通して仮にダメになったら、低迷しているルノーはもっとダメになるかもしれない。日仏、両国にとっていいことはない。ゴーンさん不在の三社連合の先行きはかなり不透明である。弘中さんの仕事も気になるけれど、裁判の行方を静かに見守りたい。しかし、この両方の出来事に関わっているマクロン大統領にとって安心できる春はまだ遠いようにも思える。
 

滞仏日記「カルロス・ゴーンさんの作業着」