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リサイクル日記「人生百年時代をどう生きるか」 Posted on 2022/08/31 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、僕が住むパリ中心部の住宅街の老人率は驚くべき程に高い。
長年、ここフランスで暮らしてきて、気が付いたことがある。フランス人にはどうも「一人で死ぬ」という哲学があるようだ。
家族に迷惑をかけず、自分一人で人生を終える、という考え方。
離婚率も高いけれど、一人で生きている老人が驚くほどに多いのがこの国の特徴と言える。
家族が面倒を見るのじゃなく、自力で死へと向かうフランスの老人たち、そこに僕は最初とてつもない孤独を見ていたが、最近、それが間違いだと気が付いた。
彼らは一人で生まれ、一人で死ぬことを、自分らしいと思っている。
誰かに迷惑をかけて肩身が狭く生きるより、一人で生きて一人で死ぬことの方が自分らしいというフランス的な考え方だ。
アジア的な感覚で言うと、家族が親の面倒を見るのは当然、かもしれない。
自由とか個人主義という言葉を生んだフランスらしい選択だと思う。
90歳を超えた老人でもこの世を去るその時まで身体が動く限り普通に買い物をして普通に生活をしている。
それを痛々しいとみるのか、人間らしいとみるかは、その国の考え方の違いに過ぎない。
僕も気が付いたらフランス的な老後感を持つようになった。
フランスの一人で生きるおじいさん、おばあさんたちを眺めながら、自力で人生を終えられる道を歩みたいと考えている。

リサイクル日記「人生百年時代をどう生きるか」



人生百年時代と言われる現代、老後がどんどん長くなっている。
65歳で定年になっても、まだ35年も生きなければならない。
人間は学校で学び、卒業してから社会に出て働き、それから定年、老後という大まかな流れに沿って生きているが、百年も生きるようになると、この当たり前のリズムが通用しなくなる。

定年退職後から新しい人生をスタートさせるくらいの時間的余裕が出来てきたということであろう。
そこで僕が考えたのは「ずっと学び続ける」生き方だ。
そもそも定年年齢の65歳は老人じゃない。
フランス人の女性たちは一生現役の女を生きるし、老いた男たちは情熱をもって永遠に女性を口説いている。
彼らに「老人」などと言おうものなら、間違いなく怒られる。75歳でも、85歳でも、彼らは現役なのだ。
いや、死ぬまで現役である。
もう、俺は終わった、とか決めなくていい。
もう、私は若くない、とか自分で言わない方がいい。



今この瞬間を充実させるという僕の考え方は「老いることを恐れない」ための秘策でもある。
老後で慌てるな、ということ。
年齢は自分で決めればいい、ということ。
結局、人を老けさせるのは自分で自分のことを老けたと思い込む瞬間だったりする。
若ぶる必要もない、自分らしく生きていけばいい。
20歳を過ぎたら、自分時間で生きればいいんだ。
好奇心を持ち続けている人はいつまでも柔らかい。
夢を持って、新しいことに取り組んで、いつまでも学び続けている人は若い。
脳科学者じゃないから医学的説明はできないけれど、結局、人間は脳が活発に動いていることが大事じゃないか、と思う。
はばかることなんかない、自分の人生なんだから。
人生を充実させる一番のコツは頭と身体を甘やかさないことだ。
人間、考えなくなったら、時間に負けてしまう。
終わりなく、学ぶこと、探求すること、冒険することを僕はおススメしたい。
それは素晴らしいことだ。そして、可能なのだ。
まず、いちいち、人と比べないことだ。
人生百年時代というのは人類未踏の世界でもあり、だからこそ、こうだという方程式がない。
そういう長寿時代になってきたのだから、それなりの柔軟性が必要なのは当然である。

自分に与えられた一生を楽しみ、自分の底力を信じたい。ぼくにはまだ知りたい世界がある。 
 

リサイクル日記「人生百年時代をどう生きるか」



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