JINSEI STORIES
滞仏日記「即答すべきか、熟考べきか」 Posted on 2019/02/11
某月某日、夜、タイタンの小野寺嗣夫(副社長)とともにフジテレビ入り。タイタンはテレビ出演の窓口をやってくださっている。個人事務所のJTコミュニケーションズはテレビ業界には不慣れなので、テレビ番組の出演に関してはプロフェッショナルであるタイタンに全て委ねている。今日は生放送の情報番組「ミスターサンデー」の出演日だ。「ミスターサンデー出演の辻仁成です」と小野寺さんが守衛さんに伝え、なんとなく面通しがあった後、パスを渡されスタジオに通された。控室の入り口に「辻仁成」と名前が出ている。テーブルの上にお弁当が用意されている。ささやかな楽しみがこのお弁当なのだが、プロデューサーさんが打ち合わせにやってくる前にサクッと食べないとならない。本番前にお弁当を食べるのもどうかと思うがお腹が鳴るのを防ぐためにも軽く食べておくべきであろう。その後、プロデューサーさんが控室にやって来られ、番組の流れの説明を受けた。一週間を振り返るニュースが多いので、いつもはそれなりに辛いニュースへのコメントを考えないとならないのだが、今日はフィギュアスケートが男女ともに金メダルだったので明るい話題が多く、いつもより数倍気が楽な出演となった。こういう番組、つまり生放送だと、ある程度の常識が求められる。常識を逸脱する「ここだけの話」というのは通じない。常識の範囲内ぎりぎりのところで視聴者を納得させられるコメントを言わないとならないことがゲストには求められる。正直、常識のない僕にはかなり難しい仕事の一つであろう。
放送開始の15分前に前室に通される。そこで音声さんによって胸元にマイクが仕込まれる。ご意見番の木村太郎さんがいらしたのでご挨拶をする。「パリはどうですか?」と訊かれたので「ここのところ黄色いベスト運動が毎週末過激で観光客が減りました」と答える。本番前の僅かな時間、われわれは「パリ談義」を交わした。その間、司会の宮根誠司さんはスタジオの中で準備に追われている。僕が彼と会うのは本番の数分前。今回はアシスタントの椿原アナがお休みで、ピンチヒッターの佐々木恭子アナが横にいた。きちんとご挨拶したいけれど、そういうことが許される余裕がないのが生放送である。僕と木村さんが着席するとフロアーディレクターさんが「じゃあ、あと2分ほどで本番です」と宣言する。この人、物凄く頭の回転の速い人で、きっと、そうじゃなければ生放送は回せない。その人以上に宮根さんの解析力、判断力、統率力が凄まじい。フロアーディレクターが迷っていると宮根さんが「こうやってこうしましょう」と先手を打つことがある。ずいぶん前のことだが、誰かの離婚の話題だった、僕にも話題がふられる予定で、内心、暗かった。すると、宮根さんがフロアーディレクターさんに、ここはコメントなしで、次に行きましょうよ、と提案してくださった。明らかに、僕のことを気にしてくださった上での発言だった。僅か数秒後の世界を決定する判断の駆け引きのようなことを宮根さんはやってのける。最後は司会者がどう判断をするか、で全てが決まる。なんともスリリングな空気が本番中スタジオ内を支配している。事故は許されないのでそのやり取りはカーレースを見ているような緊張感を伴う。宮根さんに「ところで辻さん、フランスではどうですか?」とふられるタイミングが最初の頃は分からなかった。血が上って、わけのわからいことを喋ったこともあったが、最近は生放送にも慣れてきたせいか、意図に沿って返事が出来るようになった。何事も経験、禅寺の問答に似ている。人間は不意打ちを食らわされた時にこそ、その人の本質が立ち上がる。生放送というのは誠にシビアな世界だと思う。時々、ヤフーニュースなんかで生放送の失言が大きな話題になっていたりする。僕にとっては人生の修行場の一つだ。
フロアディレクターさんが「ウケシタで12秒しかありません」と言うと、宮根さんが黙って頷いた。ウケシタというのは(ウケシタでいいのかどうか、僕は素人だからよくわかないけど)多分、「スタジオで受けて」ということで、上にある副調整室(つまりビデオ放映)から下のスタジオに戻したら喋る時間はあと12秒しか残されてない、という業界用語のようだ。スタジオにカメラが戻ると、宮根さんは恐ろしい解析率で、もちろん、12秒間ジャストで、それまでのやり取りを結論へと導く。こういうプロの喋り手にとっては普通のことかもしれないが、テレビの生放送で一秒たりと失敗は許されないのだから、横で見ている僕が一番この状況をハラハラしながらも楽しんでもいる。時々、宮根さんは暗黙的に全体を支配し、コントロールして、最後の瞬間を見事に収めるので、その時間との闘いの妙にある種の興奮、サッカーでいうならばゴールの瞬間のようなものを覚える。もちろん視聴者にも好き嫌いがあるだろうから、その黒白をよく理解された上での宮根節なのだということは理解できる。時折見せる彼の瞬発力に近いまとめ方はある種、神技的で、ここに出るようになってもう3年ほどが過ぎたが、毎回、生放送の凄さに圧倒されている。聞くところによると宮根さんは大阪のABC放送の出身なのだとか。多分彼が支持されているのは、中立の位置を維持しながらも、ご自身の持論をきちんと打ち出す、ある意味常識破りなところにあるのかもしれない。世論を知り尽くした人にしかできない芸当であろう。個人的な場所で僕は宮根さんと会ったことがないし、今後もないような気がする。今日は珍しく「写真をサイトで使いたいのですが」と依頼しカメラを取り出した。初めてのことである。「ええ、もちろんです」と宮根さんは快諾してくださった。彼は秒の中で生きていると思った。秒の中で生きるということは小説家である僕とは正反対の人間だということだ。僕は答えを出す前に物凄く長い時間を必要とする。それが小説の仕事であろう。テレビのど真ん中で生きるキャスターの宮根誠司は秒の中で答えを出さないとならない。かつてカズオイシグロとNHKで対談をした時、「即答は作家にとってちょっと危険で、よく熟考し世界を見渡したあと作品で答えを出す」といい残した彼の言葉が忘れられない。いずれにしても、結局は時間の中でこそ、人間は判断をゆだねられている。