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滞仏日記「ECHOESはオリジナルメンバーで活動できなくなった」 Posted on 2020/01/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、この訃報はフランス時間の土曜日の朝に入って来た。あれから三日近く経つけど、まだ、よくわからない。でも、日が経つにつれて、いろいろな方々からの、それが真実であるという知らせを受け取ることになった。でも、この二日間、間違いだった、とだれからか連絡が入らないか、待ってもいた。でも、さすがにもう覆せないのだな、と確信しつつある。リンドバーグのチェリーからも、それから、いろいろな音楽関係者から、立て続けに連絡がきた。ドラムの今川勉がこの世を去った。今は何が起こったのかをやっと理解することが出来つつある。もう「ZOO」や「ジェントルランド」を一緒に演奏することが出来ない。頭の中でぐるぐると何かが回り続けているけれど、それが何かもわからない。ぼくのまわりではもうECHOESを知っている人も少なくなった。結成から40年近く経っているのだから、仕方がない。でも、ぼくの心の中には結成当時のことや、バイト先での出会いや、新宿のスタジオでのリハのこと、ソニー信濃町スタジオでレコーディングを始めた頃のことなど、いまだ色褪せず、残っている。

ぼくはすぐに宮崎にいるベーシストの伊黒俊彦に連絡をいれた。彼は知らなかったみたいで、「残念」と一言かえって来た。ギタリストの伊藤浩樹は海外にいるという噂を聞いたけど、伝達する方法がわからない。この日記を読んでいるなら、一度、連絡をくれ。三人であって、酒でも飲もう。

滞仏日記「ECHOESはオリジナルメンバーで活動できなくなった」

*18歳から19歳の頃のぼくと勉(右)



勉とは、もうずっと会っていなかったし、人づてに、元気そうだということは聞いていたけれど、ぼくの方から連絡することもなかったし、勉からも連絡がなかった。伊黒からはDMだけど、忘れた頃にメッセージが入り、宮崎のことを聞かされた。伊藤は音楽ではない仕事をしているようである。4人が昔のように揃うことはもうずっとなかった。2011年9月4日の福島県のライブハウスで「連帯の日」ライブを久しぶりにやり、その翌年の5月に渋谷公会堂でやったのが最後となった。すでに8年の歳月が流れている。その間、ぼくの人生もいろいろとあった。ぼくは昨日、ノートルダム寺院まで行き、手を合わせた。その時に、ふっと一陣の風のように脳裏をメロディが過っていった。それは「Dear Friend」という曲であった。

「Dear Friend」
かわったね 人がかわる あの嫌な瞬間を
僕はまた君で味わうのか
かわったね 約束なんて 先にやぶった方の勝ちさと
ポツンとささやく 君の後ろ姿
Dear Friend こぼれそうな器の酒
Dear Friend 音をたてて飲みほしたあの日
人を裏切る位なら 裏切られた方がましだと
飲めない酒におぼれて 本音を叫んだお前は
かわってしまったんだね かわってしまったんだね
とり戻す事も出来ない位
かわってしまったんだね かわってしまったんだね
欲望の街角で

滞仏日記「ECHOESはオリジナルメンバーで活動できなくなった」