JINSEI STORIES
滞仏日記「息子たちがジョブズみたいに見えた日」 Posted on 2020/01/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、最近、息子が頻繁にぼくの仕事場にやってくる。前は近寄りもしなかったのだけど、今も、ぼくの後ろにある一人掛けのソファに座って、もう30分ほど、ウクレレを弾いている。彼がぼくに相談を持ち掛けようとしているのがよくわかる。それは将来のこと、今、自分が選択すべき道、何をやって生きるか、についてだ。この話しは面白かった。16歳でフランスの高校生は三つの専攻科目を選び、上の学校を目指さなければならない。彼は物理が苦手だけど、数学が得意。哲学が得意だけど政治経済が苦手。この春までに決めないとならない。
「パパ、物理というのは数学の上にあるんだ。でも、数学の上には数学しかない。数学というのは哲学なんだよ。僕が数学を好きなのは数字や計算が好きなわけじゃなく、この世界を、余計なことを混ぜず、全て数学で置き換えることが可能だからだ。古代ギリシャのタレスという哲学者はあの有名なタレスの定理を作った」
こういうことを力説しだした。とっても面白い。ぼくは大家に水漏れに関するメールを書いていたけれど、一度パソコンを閉じ、椅子を回転させて息子と向き合うことにした。
「パパ、僕とウイリアムは実は大金持ちなんだよ。マインクラフトの世界にある僕らの領土は、ものすごい大金を日々生み出している。その世界には数千人が出入りしているけど、僕らに不可能なことはない。そこには貨幣があり、僕らはサボテンを栽培している。そのサーバー世界で一番課金率が高いのがサボテンなんだ。で、ウイリアムはご存じの通り、イケてない、ダメ男なんだけど、彼には物凄く才能があってね、実はお金を生み出す才能を持っている。どうやったら、人よりも儲けることが出来るのか心得ている。僕らはこの一年、そこでサボテンの量産化に成功し、サボテンを収穫するための機械を作った。僕らが開発した機械でやるといっぺんに数百個のサボテンを収穫できる。僕はどっちかというと彼の相棒みたいな感じなんだけど、ウイリアムはほぼ80%の構築を一人でやった。いい? 彼は学校では嫌われている方だけど、実は、人がやらない地味な作業が好きだ。ひたすらサボテンを栽培していく。それは結構大変な労力なんだけど、彼はこう言うんだ。見てろ、人が努力をしないものに目を向けて、コツコツ積み上げていれば、必ず大金が舞い込むぞって。それで僕らは二人で毎日そこに行き、僕は彼の言葉を信じて、サボテンを栽培していった。そして、それが育つと、彼は自分で開発した収穫機で一気にそれを現金化する。見事に大金が転がり込む。サボテンが現金化される瞬間、ビジネスというものが働く、いや、サボテンを栽培している時に、既にそれが始まってるのだけど、栽培は地味だから、みんなそこで挫折してしまう。パパ、その結果、この一年で、僕らは巨額の資産を持つことに成功した。その資産を投資に回し、広大な領土が潤った。僕らに与えられたスペースではこのようなありとあらゆる事業を開発し展開したので、もうスペースがないんだ。だから、お金を周囲の人に与えようと思って違うスペースを覗きに行った。すると初心者たちは僕らのように成果を出した連中を見回し、頭から自分たちには無理だと絶望し、砂漠のど真ん中でへたり込んでいた。パパ、僕はこの一年、ウイリアムの行動力と付き合い、彼が将来間違いなく経営者になり成功をする人間になると思った。彼はちょっとひねくれ者で口の悪い奴だけど、でも、コツコツやる力があり、僕はそこをとっても尊敬している。どんな人間にも光るものがある。僕には何があるんだろう」
とっても面白いと思った。学校では教えてくれないことだ。そこでぼくは「自分たちのメソッドを作ればいいんだよ」と言った。
「そうなんだよ。先生たちはメソッドをノート書いて、それだけを覚えろと言うんだけど、でも誰もメソッドを作ろうとしない。ウイリアムも僕もすでに大金を稼ぐ力があるので、出来れば誰も思いつかなかったメソッドを開発したいと思っている。それが僕が目指したいことなんだけど、難しくて…」
ウイリアムは将来、コンピューターのエンジニアになりたいので、その専門の学校に移ることが決まっている。息子のもう一人の親友のイヴォンも同じように経済の専門学校に移る。フランスは早い時期に専門職に入ることが成功の第一歩と言われている。でも、我が子はまだ何も決められずにいる。だから、ぼくの部屋にやって来て、ごそごそ、うだうだしているのだ。でも、ぼくにはわかる。すでに彼の頭の中で将来が動き出しているということを。悩んでいる時にこそ、人間は成長しているのだ。息子がウクレレを弾き出した。優しい音色であった。
さて、ぼくは引き続き、大家さんへのクレームメールと向き合うことになる。