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滞仏日記「シャンゼリゼ大通りでハッピーニューイヤー」 Posted on 2020/01/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、おせちを作ったのに、息子くんは親友のアレクサンドル君の家に招かれ、小学校時代の仲間たちと新年を祝った。アレクサンドルのお母さんのリサはフランスにおける息子の母親がわりで、毎年のように息子は彼らの家で年明けを祝っている。今年はうちでと約束していたのに、不意に出かけて行って、ぽつんと寂しい大晦日となった。2020年になったとたん、ドーンと花火が上がって、そこら中から歓声があがった。遠くエッフェル塔の方が明滅していた。

朝というより昼に近い時間に起きて、おせちを重箱に詰めていると、息子から「もし、暇だったら迎えに来てもらえないかな」とメッセージが入った。ストが続いていて、メトロが動いてないので、しょうがない。アレクサンドル君の家まで迎えに行った。パリは史上最長のストライキ中だというのにシャンゼリゼは観光客で溢れかえっていた。メトロやバスが動いてなくても、観光客が世界中から集まってくる。パリとは豊かな凄い街である。ぼくは凱旋門のちょっと手前の待ち合わせ場所で車を停めて、息子が出てくるのを待った。アレクサンドル君の家はなんと凱旋門からすぐのところにある。新年の新鮮な空気を吸いたくなって、ぼくは外に出た。観光客があちこちで記念撮影をしていた。長い行列がそこかしこに出来ていた。みんな世界各地からやって来たのだ。人々の幸福そうな姿を撮影していたら、背後から、
「お金ください。ムッシュ」
と声がしたので振り返ると、幼い兄弟が立っていた。

滞仏日記「シャンゼリゼ大通りでハッピーニューイヤー」

滞仏日記「シャンゼリゼ大通りでハッピーニューイヤー」



二人ともがりがりに痩せた、大きな目をした、移動民族ロマ人の子たちだった。ここフランスでもロマ人の集団が、スリや強盗など犯罪に加担し社会問題になっている。子供たちを使って集金させたりする。それも冬空の下、薄着で…。ここ最近、警察はパリ郊外の彼らの大規模なキャンプ場を排除している。ロマ人の集団は空き地にキャンピングカーで集まりそこに簡易の集落を形成する。ここが犯罪の温床になっている。でも、彼らには戸籍もパスポートもなければ送り返す国さえないので、捕まえてもすぐに釈放され、結局、組織に舞い戻って生きて行くことになる。幼い子供たちは路上に立ち、哀れな子供を演じ、観光客にお金をせびる。ぼくの目の前にいた子たちは10歳くらいであった。あまりに幼い。普段は10代後半の子たちばかりなので、びっくりして、動けなくなった。ぼくの息子が10歳の頃の姿と重なってしまった。どこで生まれたか、何人で生まれたか、でこんなに差が出る。この子たちにあのおせちを食べさせたいと思ってしまった。
「お腹がすいたの」
あまりに哀れ過ぎて、言葉が続かなかった。するとお兄ちゃんの方が妹を抱き寄せ、
「この子に10ユーロください」
と言った。ぼくがポケットに手を突っ込み、財布を探していると誰かが遠くで、逃げろ、と叫んだ。警察がやって来たのだ。ぼくの目には凱旋門の方からやって来る警察官たちが見えた。ポケットの中の小銭を急いで取り出し、彼らに握らせようと慌てて振り返ると、驚いたことに彼らの姿がなかった。あたりを振り返ったが、どこにもいなかった。走り去ったというより、消えたような…。その時、シャンゼリゼに一瞬、雪が降った。吐き出す白い息の先で、その雪も消えてなくなった。粉雪のようなまるで妖精のような雪片であった。
「パパ、どうしたの?」
今度は背後から息子の声がした。もう一度、振り返ると、ぼくよりも背の高い今時の若者が目の前で微笑んでいた。その後ろを警察官たちが笑いながら通り過ぎていった。
「ごめんね、迎えにきてもらって」
と息子が言った。ぼくはもう一度、周囲を振り返り、探した。しかし、シャンゼリゼ通りに子供たちの姿はなかった。あの黒くて大きな目がぼくの記憶の中に焼き付いて離れなくなった。

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