JINSEI STORIES

滞仏日記「ニコラのお父さんに苦言を言った」 Posted on 2019/12/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリ市内はいまだストが続いているのだけど、クリスマス休暇まであと2日となった。学校の先生たちも、なんだかスト期間中だからか、クリスマスが近いからか、やる気がないようで「先生が休みだから」と息子も早々に帰って来た。夕方、携帯が鳴ったので出るとニコラのお父さん、シリル(仮)からであった。
「実は、ちょっとまた息子を預かってほしいのですけど」
「いいですけど、一人でこさせてはダメですよ。一緒について来てもらえますか?」
「クリスマス前のお忙しい時にすいません」
ぼくはさすがにちょっとむっとしていた。家が大変なことは子供達には関係ない。上のマノンは中学生だし、けっこう今時のませた子なので、ほっといても大丈夫だとは思うけれど、9歳のニコラはまだ小学生だ。ぼくはニコラの父親にちょっと厳しいことを言うつもりで待ち構えることになった。



夕方の18時を過ぎたころに、シリルがニコラを連れてやってきた。ちょっとだけ話をしたいので、あがってください、と招き入れた。ニコラを息子に預けて、シリルとぼくは向き合った。夫婦共働きで大変なのもわかる。その上、ニコラのお母さんが少しだけ育児放棄気味なことも知っている。そのことで夫婦喧嘩が絶えないことも。何より、シリルの仕事がうまくいってないこともよくわかっている。でも、親戚もいるし、シリルの実家はパリ市内にある。なんで、うちなのか、と思ってしまう。それでいいのか、とぶつけてみた。
「申し訳ない。ニコラがムッシュのところに行きたがるんです。うちの親はレストランを経営しているので、忙しくて、あの子を預かることができません」
「もちろん、うちはぜんぜん問題ないけど、ちょっと心配になる。夫婦のことは聞かないけど、奥さんとは仲良くやってるんですよね?」
「それは大丈夫。お互い支え合って頑張っています。ただ、ぼくの仕事がよくない。言いたくありませんが、会社がうまくいってません」
「ぼくからのお願いは、どんなに大変でも子供のことを忘れてほしくない、ということです」
「もちろんです。あなたには私も妻も感謝している。本当に、ごめんなさい」
仕事上、大変な問題があることは分かったし、この件は、これ以上ぼくが口を挟むことじゃない、と思った。シリルは、明日の朝、迎えに来る、と言い残して、帰って行った。ニコラとYouTubeの動画を作った時は、ここまで彼らの生活が大変だとは思っていなかった。夫婦喧嘩くらいかな、と正直思っていた。でも、シリルの顔は青ざめていたし、手が震えていたのをぼくは見逃さなかった。相当、深刻な状態なのであろう。

息子とニコラと三人で食事をした。日本のカレーライスを作ってあげた。バーモントカレーの甘口だ。ニコラは「美味しい、こんなカレーたべたことない」と大はしゃぎだった。食後、息子がニコラの勉強を見てあげた。息子が小学校四年生レベルの算数の問題を作り、それをニコラが解いていく。いい感じであった。ぼくはじっと二人を見守った。息子の教え方はなかなか上手だった。なぜそういう答えになるのかを、身振り手振り、まるで学校の先生のような感じで丁寧に教えていく。この子は先生に向いているかもしれない、と思った。ニコラも「わかる、わかる」と頷いていた。ここにいて、嫌なことを忘れられるなら、うちはぜんぜん構わない。二人で食べようがニコラやマノンが一緒であろうが大差はない。むしろ賑やかになって大歓迎だ。でも、子供には家族が必要である。家族が必要だ。居心地が悪くても、家族と一緒にいることが大事なのだ。

滞仏日記「ニコラのお父さんに苦言を言った」



うちのソファーがベッドになるのをニコラは知っている。力をあわせて三人でニコラのベッドをセッティングした。ニコラは楽しそうだった。まだ、小さすぎて深刻なものが何かが分かっていない。お客さん用の、というのか最近はすっかりニコラとマノン用になってしまったが、寝具をクロゼットから取り出し、ニコラと一緒にベッドメイキングをした。彼の中ではキャンプでもするような気分なのであろう。終始笑っていた。楽しそうだった。ぼくは、コメディアンのようにくだらないことをいっぱいやって、彼を笑わせた。この笑顔が曇らないように、とぼくは神様にお願いをしながら…。

自分流×帝京大学