JINSEI STORIES
滞仏日記「中国人の家族をはじめて夕食に招いてみた」 Posted on 2019/12/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、シングルファザーになってから、息子が心を許している中国の人たちがいる。宋さんファミリーである。行きつけの中華レストランのシェフとその奥さんだ。弟さん夫妻は和食店を経営している。息子は外食をしたがらないが、曾さんのところには行きたがる。奥さんのメイライはぼくのいとこにそっくりで、しかもとっても優しい。息子は彼らに「サプタオ」と呼ばれている。息子の名前を中国語読みするとそうなる。ちなみに仁成は「ヤンセン」だそうだ。笑。
メイライは息子にとってこの地区で親戚のおばさんの役割を果たしてくれている。ぼくらを助けてくれているのはフランス人だけではない、中国人、韓国人、ベトナム人、モロッコ人、アルジェリア人、イタリア人、スペイン人、ロシア人、イギリス人、etc。なるほど、人見知りの息子がここまで心を許すのがわかる。彼らは必ず息子を抱きしめる。握手もするし、肩を抱くし、「いい子だね」と優しい言葉をかけるし、いつも笑顔だ。ぼくがいない時、息子は一人で宋さんのレストランに食べに行くこともできる。何かあれば必ず彼らが助けてくれる。安心できる隣人であり、お米の国の人たちという共通点もあり、何より、家族愛に飢えている息子にとっては心強いのであろう。
メイライのご主人はシンコー、その弟がシンウエン、その奥さんはメイライの妹でメイリン。ちょっとややこしいけど、兄弟と姉妹が結婚をした。ぼくはフランス語でずっと話しをしているのだけど、そのすべてをシンウエンが兄や姉や妻に訳していく。つまりぼくのフランス語は理解されてないというわけで、でもシンウエンにだけは通じているようで、彼がまるで同時通訳のように訳し、その中国語のせいでぼくは情けなくなる。ぼくの仏語のレベルの低さ、それともシンウエンの解釈力の高さ、なんだか不思議なやり取りだ。
宋ファミリーはジスカールデスタン大統領の頃に渡仏し、すでに40年が過ぎた。ぼくの倍もここで生きている。シンウエンの娘のアイインは20歳、彼女が生まれた直後にぼくはここで暮らしだしている。アイインとサプタオはパリ生まれなのでパリジャン、パリジェンヌということになる。この二人、何か生い立ちに共通するものがあるのか、気が合いそうだ。ぼくはアミューズにバカラオパテ、前菜に茄子田楽、メインにチラシと鴨肉の焼き物胡桃クリームソース、デザートにほうじ茶のブランマンジェという定番のフルコース料理を出した。いつも辻家を見守ってくれているお礼をしたかった。ぼくに出来ることは歌うことと料理することくらいである。でも、歌った時にはさすがにメイライが驚いていた。
「あなた、歌手だったの?」
生まれてはじめて中国人を自宅に招いたので、いろいろと悩んだ。助手の息子と「彼らは時間通りに来るだろうか?」「靴は脱いでくれるだろうか?」「箸かフォークか?」「料理は全部いっぺんに出した方がいいのか?」などを予め相談しておいた。でも、結局、彼らは時間通りに来たし、靴は脱いだし、箸を選んだし、フランス人とも日本人とも何も変わらなかった。政治や経済の話しにもなったが、というのはシンコーさんらが南京出身で、メイライたちが香港生まれで、時節柄、そこに触れないわけにもいかなかった。でも、結論から言うと、語る前にお互いがお互いのことをわかっているので、そこを掘り下げる必要はなかった。このことは説明が難しいけど、人と人の関係が優先される。もちろん、ぼくも日本を振りかざすこともあるけれど、むしろ、大事なことは、政治的な意味の未来志向ではなく、隣人愛や本当の友情だったりする。当たり前のことだけど…。
帰りにアイインに拙著「ピアニシモ」の仏語版にサインをして渡した。筆でサインをし落款を押したら、中国人たちが一斉に、おおおお、と唸り声をあげた。思えば漢字は中国から来ている。でも、彼らが使う漢字とはちょっと違っている。全員がぼくを囲み、これは何と読むのか、と質問した。
「恵存」
通じなかったので、崩し文字じゃなく、丁寧に書いた。あなたの傍にずっと持っていてもらえると幸い、という意味だ。
「おおおおお」
と彼らがまた唸った。そっか、理解出来るんだ、と気が付き、面白くなったので、中国版の「サヨナライツカ」を本棚からひっぱり出して差し上げた。フランス語で、
「愛の物語、でも、ちょっとセクシーだからね、エロティック、気を付けて読んでよ」
と言った。全員が顔をくっつけて読みだしたので、遠くで息子が苦笑した。