JINSEI STORIES
滞仏日記「もしぼくがタバコが吸えたなら」 Posted on 2019/12/01
某月某日、朝、五時に誰かがドアをノックした。父さんの夢を見ていた。車の後部座席に座っていた父さん、ぼくは運転をしていたのだけど、誰かがドアをノックしたので、目が覚め、同時に父さんは消えて、パパ、時間だよ、と息子が言った。
「わかった。今、起きた」
へんな日本語だった。寝室のドアを開けたら、すでに準備万端、息子が立っていた。今日、息子は前々から決めていた通り、ナントまで日帰りで行って帰ってくる。朝があまりに早いのでぼくがモンパルナス駅まで送ることになっていた。でも、二人はもう恋人ではないようなので、ナント行きはキャンセルになったと思っていた。詳しいことを聞けるわけもなく、青春とはそういうものだと思って、ほったらかしにしていたのだけど、前日、
「明日、駅まで送ってね」
と息子は言った。
「サンドでも持っていくか? TGV(仏版新幹線)の中で食べたらいいよ」
「ありがと。持っていく」
ぼくがサンドイッチを作っていると息子がやって来て、横に並んだ。なんか言いたそうなのがよくわかった。
「でも、半分でいい。今日はエルザと食べ歩くから。ランチも行くところは決めているし、帰る前にハンバーガーも食べる」
「お金あるの?」
「あるよ。学生同士だもの。そんなにかからない」
ぼくは買い物用の財布から20ユーロ札を取り出し、カンパ、と言って渡した。息子が笑顔で受け取り、素早くそれをポケットにしまった。
「なんか別れたのかなって思ってた」
正直に聞いてみた。すると、息子が笑って、
「いい友達になったんだよ。そうすれば別れとかないし」
と言った。
「へー、いいね。遠距離だからそれくらいの付き合い方がいいかもね」
「うん、だから、今日は食べ歩く」
初恋、と彼は言ったけど、まだ15歳なので、しかもまだ二度しか会ったことがないわけで、つまり、恋がはじまったわけでも終わったわけでもない、のである。
ある意味、それも恋のファーストステップであろう。
彼らが勝手に双方の親に恋人宣言をして、でも、彼らが勝手に親友になったに過ぎないのだ。お互い会えなくて苦しむより、まだものすごく若いし、仲のいい友達になることを選ぶことはとってもいいことだと思う。そこから違う何かがはじまるかもしれないし、もっと大事なことに気が付くかもしれない。違った角度で世界を知ることもできる。息子はさっぱりしていたし、きっと二人は楽になったはずだ。
二人はきっと話し合って決めた。親として心配していたけれど、すべてはいい意味で杞憂に過ぎなかった。
土曜日の早朝、真っ暗なモンパルナス駅前で息子を下ろした。
「じゃあ、行ってくる。帰りは自力で戻れるから、家にいて」
「何時になる?」
「そうだね、22時かな」
「OK、エルザによろしく」
「うん、伝えておく」
息子が駅の中に消えるまでぼくは車の中から見送った。ハンドルから手を離し、彼が構内に入って見えなくなってもしばらくぼくはそこにいた。もしぼくがタバコが吸えたならば、窓をあけて、ここで一服するのだろうな、と思った。
追記。(ここからは寝る前に慌てて加筆している)
夜の22時過ぎに息子が帰って来た。
「どうだった?」
「うん、よかったよ」
「そうか、じゃあ、よかったな。パパは寝るね」
寝室に入ろうとしていると、パパ、と呼び止められた。
「エルザがね、ぼくの誕生日にパリに来たいって。いいかな?」
ぼくは振り返り、
「ダメっていう理由は一つもないけど」
と笑いながら、ぼくはフランス語で返したのである。こういう言い回し、とってもフランスっぽいんだよね。否定の否定、ああ、めんどくさい。笑。でも、テレカクシにはちょうどいい。