JINSEI STORIES
滞仏日記 「生きてることを隠しちゃいけない」 Posted on 2019/11/25
某月某日、ミラーボールがキラキラと輝いている。実はパパ友のヴァンサンとパトリックが家事ばかりしちゃだめだよというので保険会社主催の夜会(ソワレ)に誘ってくれた。ヴァンサンが某大手保険会社に勤めていて、社員の福利厚生のためにこのようなイベントを頻繁にやる。ぼくはこの保険会社に加入しているわけでもないが、ヴァンサン枠というのがあるらしく、ともかく、ぼくとパトリックはヴァンサン枠で入場した。なんとなく「桜を見る会」のことを思い出してしまった。
そこは保険会社の持ち物の建物の最上階のペントハウスで、普段は会議などで使っているスペースらしい。エントランスには気の早いクリスマスツリーが飾り付けられ、DJブースもあり、ミラーボールがぐるぐると回って、踊っている若い女性とかもいて、つい沢尻エリカさんのことを思い出してしまった。
でも、そういうクラブではなく、保険会社のパーティだ。フランスは週末の夜に、大きめの個人宅でこういうハウスパーティが頻繁に開かれる。入口には「夜会のため、お騒がせします」と張り紙も出る。窓をあけて、ガンガンロックを演奏する会もある。静かなパリの住宅地なのに、どこからか爆音が聞こえてきたら、まさにパーリーピーポーの集まりだ。ヴァンサンの夜会は500人くらいの人出であった。それだけ広いペントハウスなのである。バーニーの恰好をした受付さんに、どこから来たの? と聞かれ、ジャポン、と言った。「凄い、日本支社から?」「いいや、ぼくはヴァンサン枠」
引きこもりのシングルジャパニーズオヤジにとってそこはちょっと居づらい場所でもあった。ヴァンサンとパトリックは年配の女性社員たちと踊って盛り上がっている。若い子もいるけど、ほとんどが年配者。たぶん、保険のお客さんじゃないかな。でも、楽しそうだ。カウンターの端っこに陣取り、ぼくはジントニックをずっと飲み続けた。でも、…。でも、とぼくは思った。いつもだったらこの時間、キッチンでお皿を洗った後に、ウイスキーを一人寂しく舐めている。ちょっと違った世界が目の前にあった。これは楽しんだ方がいいのかもしれない。キラキラと輝くミラーボールの下で、みんながダンスしている。思い思いのステップを踏んで…。バスティーユあたりの着飾った若い子たちが集まるクラブじゃない。誰一人、イケてるダンサーはいない。そりゃあ、酷いものだ。腹は出ているし、ガニ股だし、肉も下がり気味だし、腰もやや曲がっている。でも、全員が笑顔だ。最高のスマイル。こんなに大勢の中年フランス人の笑顔をなかなか見る機会がないので、すげ~、と思った。その時、ふと、生きていることは隠すことじゃない、という言葉がぼくの脳裏を掠めた。変な言葉だけど、たしかに、とぼくは思った。生きていることを隠しちゃいけなんだ、と思った。ヴァンサンとパトリックが汗だくになってやってきた。「なにしてんだよ。せっかく連れ出してやったのに?」とヴァンサンが笑いながら怒った。ダスティンホフマンに似ている、と思った。「おい、みんなと踊ろうぜ」とパトリックが言った。太ったスティーブマックインのようだと思った。なんだか、フランスの保険会社の広告に出演しているようじゃないか。でも、生きていることは隠すことじゃないんだ、とぼくは自分に言い聞かせて、彼らの輪の中へ飛び込んで踊ってみた。なかなか、踊るのって難しい。(踊ったりする?)ま、普通、還暦のオヤジは踊らないものね。必死で踊ってみたけど、社交界慣れしているフランス人にはかなわない。自分の情けなさに思わず苦笑が起きた。すると、目の前のミニスカートを穿いたかなり高齢なおばあさんにウインクをされてしまったのだ。俺ですか? 「踊ってくださる?」「あの、俺?」周囲を見回してしまった。そして、大笑い。なんて素敵な夜だと思った。この素晴らしい時間を心に記憶しておこう、とぼくは思った。生きているのだ、みんなこうやって肩寄せ合って、ステップ踏んで、乗り越えて行っているのだ、と思ったら、楽しくなってきた。一生は一度だ。とことん行こう。