JINSEI STORIES
滞仏日記「まさかの母さん緊急入院の巻」 Posted on 2019/11/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨日の日記で書いた通り、母さんの初テレビ出演の話しがどんどん進んで行っていた矢先、弟から急に「母さんが掃除中に転んで腰を打ち動けなくなったので入院しました」というメッセージがラインに飛び込んできた。え、え、え? 昨日電話で話したばっかりなのに、とぼくは驚いた。
慌てて電話をかけたが通じない。とりあえずタイタンの小野寺さんに連絡をし、弟から入った情報を伝えた。「ちょっと明後日の撮影は難しそうです、申し訳ありません。日本が休みで精密検査を明日やりますので、その状況で改めてご連絡させてください」小野寺さんもびっくりして、すぐに局の方と対応してくれた。それにしても、母さん、大丈夫だろうか?
一時間後、弟とやっと電話が通じた。
「大丈夫?」
「うん、なんかね、掃除してたら滑ってこけて、腰から倒れて動けなくなったんだよね。で、救急車呼んで入院することに…」
弟と話しをしていると、その後ろから母さんの大きな声が聞こえてくる。ひとなりね、ひとなりやろ、大丈夫だからと言っとかんね、と騒いでいる。
「なんか騒いでるけど、元気そうじゃない?」
「うん、元気なんだよ。でも、明後日の撮影は難しいので、可能なら、ちょっと延期か、それが難しければ、ばらしてもらうしかないかな。お医者さんは一週間くらいで退院できるのじゃないか、と言ってくださってるけどね」
ベッドから動けない母さんが子供みたいに騒いでいる。
「了解、ちょっと母さんにかわってくれる?」
弟が母さんに携帯を渡すと、母さんが元気な声で、ごめんね、本当に心配かけてしまって、ごめんなさい、と謝った。
「大丈夫ですよ。ゆっくり休んでまず治してください」
「なんかテレビの人にも迷惑かけたっちゃないと? 喋る気満々やったとに」
「いいや、みんな母さんのこと心配しているし、元気になってからでも大丈夫だから、そこはつねひさに任せて今は静養してください。そこ個室なの?」
「個室よ、それがね、看護師さんたちがみんな優しくて、とっても居心地がいいとよ。もう、帰りたくなかったいね」
ぼくは笑った。これはきっと看護師さんたちを捕まえてはペラペラ人生訓を語りだすつもりのようだ。母さんが手ぐすね引いているのがよくわかる。福岡の若い人たちは本当に優しい。若い人は高齢者をリスペクトしているし、どこまでも付き合ってくれるから福岡のご老人たちは幸せだ。弟と二人で代り映えしない家にいるより、気分が変わって、よっぽど母さんにとっては楽しいはずである。
「あのね、ひとなり。ここホテルみたいだから、ちょっと楽しいのよ」
ほらね、やっぱり。
「うん、一週間、旅行に出たと思ってゆっくりしてくださいね。テレビのことはどうにでもなるから」
ぼくはそう言って、電話を切った。でも、高齢者は腰を打つと骨が削れているので再生しずらく、そこからどんどん衰弱していくらしい。フランスの友人のお母さんがやはりこけて大手術になり大変だったのだ。なんでもないことでも年寄りには大きな負担を強いるので用心しないといけない。ここはじっくりと治してもらいたい。テレビ出演はどうなるかわからなくなったけど、まずは健康が第一だ。それが愚息たちの願いでもある。