JINSEI STORIES
滞仏日記「子供たちを預かることになった、その後」 Posted on 2019/10/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、マノンとニコラのお母さんから、「もう一晩、預かってください」と連絡があった。フランスは11月の4日まで秋のバカンス休暇なので、子供たちは学校に行く必要もない。なぜ、うちに白羽の矢が立ったかというと、この時期はみんな家族でパリを離れており、居残りは辻家だけだったからだ。それに、ぼくらは日本人なので、変な噂を立てられないで済む、という思惑も彼らにはあったはずだ。もちろん、親しくしている関係だけど、いつも息子を預かってくれるリサやロベルトほど親しくはない。前に住んでいたご近所さんで、たまに飲んだり、食事をする間柄だった。
ともかく、ぼくはちょっとお人よしのところがある。引き受けたはいいけど、後悔が後からやって来た。ランチ(高菜バターライスとオムレツ風の卵焼き)を食べていると、マノンが、食べたら遊びに行きます、と言い出した。昨日はわからなかったけれど、やはり今時の子供なのである。大きな声で友人らとワッツアップ(仏版ライン)で朝から大騒ぎしていた。ニコラはおとなしい性格だが、マノンは違う。
「どこに?」
「友だちと遊ぶの」
「どうしよう。いいけど、ちゃんとここに戻って来れる?」
「大丈夫、中学生ですよ、ムッシュ。それにいつも遊んでる子だから」
じゃあ、なんでその子の親は預かってくれなかったのだろう、と思ったけど、聞けなかった。マノンの親はそこに預けたくなかったのかもしれない。
「でも、待って。一応、君のパパかママに許可を貰わないと」
「ええ? なんで、私、もう中学生なんですよ。バカンスなのに家の中でずっと過ごさないとならないのはおかしいでしょ? 迷惑かけないから、許可してください」
確かに、この子の言うことには一理ある。大丈夫だよ、と息子が横から口を挟んだ。パパは心配性で、何でもかんでも反対するけど、昼間だし、何かあれば携帯で連絡とりあえばいいじゃない、と助っ人に回った。とにかく、待つんだ。ぼくは携帯を取り出し、彼らのお母さんに電話をかけた。マノンが外出したがっているけど許可していいですか、とマノンの目を見ながら訊いた。すると、ええ、大丈夫です、本当にすいません、と即答されてしまった。マノンが、ほらね、と笑顔になった。親が許可しているなら反対も出来ない。でも、何かあればぼくの責任になってしまう。やれやれ。ぼくはマノンの携帯番号を聞き、一応、ワッツアップを交換した。いざという時のために、息子とも交換させることにした。
おやつを作っていると、今度は息子がやって来て、ウイリアムと映画観に行ってくる、と言いだした。ぼくはニコラと二人きりになってしまった。締め切りが迫っていたので、仕事をしていると、人の気配。振り返るとドアの隙間からニコラが覗いている。慌てて笑顔を向けた。するとニコラが、
「ムッシュ、紙ください」
と言った。紙? ああ、コピー用紙のことだね。数枚を手渡した。
「何に使うの?」
「ナルトの手裏剣、作ってるの」
そう言って、見せてくれた。へ~、上手だね、と言って頭を撫でた。
「おうちにいつ帰れるの?」
「ええと、明日かな。きっと明日」
何か知ってるのだろうか、と様子を見た。心配になったので、仕事をやめて、一緒に手裏剣を作ることにした。ニコラの集中力はすごい。ぼくらはナルトごっこをした。うしろに手を伸ばして、ナルトの真似をして家の中を走り回った。こんな時期が息子にもあったっけ。超なつかしい。それにしてもフランスの子供たちにこんなに愛される日本の漫画ってすごいな、と思った。ニコラは手裏剣に飽きると、ソファベッドの間に潜り込んで、スイッチをやりはじめた。フランスの子供たちに愛される任天堂ってすげ~な、と思った。
ニコラを一人おいて買い物にはいけないので、夕方、二人で近くのスーパーまで出かけることにした。教会の前のベンチに座って、ジュースを与えた。
「おうちに帰りたい」
とニコラが言った。何かしなきゃ、と思って、ニコラの前でとっさに志村けんさんのものまねをやってみた。あい~ん。泣きそうな顔をしていたニコラが目を丸くした。あい~ん。笑った。フランスの子供まで笑わせる日本のお笑いってすごいな、と思った。
マノンも息子もなかなか帰ってこなかった。ぼくは心配になり、ワッツアップで「帰って来なさい」と二人にメッセージを送った。「もうすぐ帰ります」とマノンから、「今、メトロ」と息子から返事が戻ってきた。やれやれ、と思いながら、ぼくはキッチンで夕飯の準備をはじめた。それでも、帰ってこなかった。陽が落ちて、窓の外は真っ暗だった。すると不意に電話がかかってきた。マノンからだ!
「いま、メトロの外に出たんだけど、暗いからどうやって帰るかわからなくなっちゃって」
「迎えに行くからそこで待ってて。五分くらいで着くからね」
ぼくはニコラを連れて急いで外にでた。どっぷりと暗くなっていた。それに肌寒かった。ニコラの手をひっぱって、メトロの駅を目指した。すると、街灯の下でマノンと息子が立ち話をしていた。光りが二人を優しく包み込んでいた。
「マノン!」
ニコラが叫んだ。マノンと息子がぼくらに気がつき、笑顔で手を振った。街の灯りが切ない秋の夜であった。