JINSEI STORIES
滞仏日記「角の席のご老人」 Posted on 2019/09/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、朝、息子が出がけに「パパ、シラク元大統領が亡くなられたんだって。知ってた?」とドアを閉める間際に言った。ぼくは小さく頷いた。
「お前が生まれた時、シラクさんがフランスの大統領だった」
「うん、知ってるよ。ちょっとジジに似てた。じゃあ、行ってくる」
バタンとドアが閉まった。確かに、父さんに似ていたかもしれない。あの笑顔、人懐っこい感じ、ユーモア交じりの喋り方まで、それに頭の形までも・・・。
掃除をしてから、近所のカフェに行き、カフェオレを頼んだ。ギャルソンのクリストフが「おはようございます」と日本語で挨拶をしてくる。
「おはようございます。元気ですか?」
「はい、元気です」
日本が好きな人は日本語をつかいたがる。銀座で働いていたクリストフが日本語をひけらかすように大きな声で言うので、カウンターの常連たちが、クスクスと微笑む。いつもの光景である。でも、ちょっといつもと違う光りが差している。
カウンターに置かれてある新聞はどれも一面、シラク大統領の写真だった。パリで暮らしだして18年が経とうとしている。渡仏した当時の大統領がジャック・シラクだった。2004年に息子が生まれ、2007年に大統領がサルコジさんにかわった。日本が大好きだったシラクさんに対抗するかのように、サルコジさんは中国へと急接近した。その次がオランド大統領で、今のマクロンさんへと繋がる。4人の大統領をぼくらは経験したことになる。その中でもシラク大統領には親近感を覚える。確かに父さんに似ていたからかもしれない。大きな身振り手振り、わかりやすいフランス語・・・。
「ああ、サンパ(感じのいい)な人だったよね」
とクリストフが告げると、カウンターに並んでいる朝の顔ぶれが同意した。ぼくはカフェの端っこの席へと目をやった。いつも角席にいるあの人がいなくなって、ずいぶんと経った。どんな時にもスーツにネクタイ、絵になるオールドスクール。なぜいなくなったのか、クリストフに聞きにくい。最後にあった時は付き添いの人が横にいて、ボンソワレ、と挨拶をすると、ユーツー、と英語で戻って来た。背が高くて、矍鑠とした紳士であった。でも、90歳は過ぎていただろう。いつも角の席でル・モンド紙を隅から隅まで読んでいた。
シラク大統領は86歳でこの世を去った。ぼくの母が84歳だから、親の世代ということになる。相撲ファンで、愛犬の名前は「スモウ」だった。ドラマティックな人生だったのじゃないか、と想像する。新聞を捲りながら、彼が歩いた道のりを辿ってみた。どの新聞も、驚くくらい日本でくつろぐシラクさんの写真がたくさん掲載されている。こんなに日本のことを愛してくれていたんだな、と思った。
「ところで、あの角の席にいつも座っていた紳士だけど、最近見かけないね」
カウンター客がみんな出払った後、クリストフに聞いてしまった。一瞬、クリストフが離れた角席へと視線を向ける。朝の光りがテーブルの上を温めていた。
「さあ、どうしているんだろう。わからない。もうずっと来てないよ。年齢が年齢だからね、一人暮らしだったし、もしかすると戻って来ないかもしれないね」
ぼくは新聞を閉じ、二つに折って、カウンターの上に積まれた他の新聞の上に置いた。シラクさんの在りし日の笑顔がそこにあった。