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滞仏日記「フランスの風邪対策と日本の知恵」  Posted on 2019/09/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、大変なことになった。息子が風邪をひいてしまったのである。10月12日のオーチャードホールまでちょうど二週間というこのタイミングで、息子の咳がとまらない。本人はパリ市バレーボールチームに所属するほどの体躯の持ち主なので、咳風邪くらいたいしたことないのだろうが、ゴホっ、ゴホッと咳き込まれる度、コンサートを控えた59歳(あと一週間で60歳の)のぼくは戦々恐々となる。だいたい、この咳が始まるとその一週間後くらいにぼくも咳が出始め、そうなった場合、完治するまでに二週間を要する。ということは、ええと、10月16日に完治だから、12日は、真っ最中じゃないか!

当然、息子の風邪を治すことが先決なのだが、この国の中高は風邪くらいでは休ませてもらえない。うちの子の学校の場合、38度以上の熱でしかも医者の診断書がないと「ずる休み」と断定される。熱もなく、元気な彼を「風邪」とは分類できないが、歌手にとっては致命的な喉の風邪だ。この咳は昨日の朝「ゴホン」と言えば龍角散状態からはじまり、とりあえず、葛根湯を飲ませて学校に送り出したが、咳が出始めてからでは漢方もなかなか効いいてくれない。ぼくがパリを離れるまで残り、一週間くらい。自力で風邪菌から身を守るしかない。これは少なくともコンサートを楽しみにしてくださる方々に対するプロとしての責任と意地だから、帰って来た息子と話し合った。
「すまん。風邪をひいて大変な君に失礼だとは思うが、父ちゃんの一世一代の還暦コンサートにその風邪を貰うわけにはいかないんだ。だから、協力してほしい」

どこまで効力があるのかわからないが、息子もマスクをしてくれた。親子でマスクをすることになったが、フランス人はマスクをしない。日本では見慣れた光景だが、フランスでマスクをして外を歩くと何か重大な病状を抱えていると思われがちだ。最近はフランス政府もマスクを推奨しはじめたので薬局で買えるようになったが、ちょっと前までは買うことが出来なかった。

とりあえず、このまま何もしないで手をこまねいているわけにはいかない。薬局へ行き、殺菌ジェル、うがい薬、鼻スプレー、息子の咳止め、ビタミン、などを買った。それからフランスで定着しているオシロコクチナムという同毒の(ホメオパシー?)薬も買った。毒を持って毒を制するという昔からある民間治療薬のようなもので、医者は「あんなもの猫のおしっこに過ぎない」と揶揄するが、フランスではよく売れている。葛根湯は風邪をひく前には本当によく効くけど、このオシロコクチナムも同じらしい。飲み続けていると風邪はひかないというもので、信じている人は飲み続けている。(結構、これが高い)

滞仏日記「フランスの風邪対策と日本の知恵」 

日本から持参している大型の加湿器を息子とぼくの部屋の両方で稼働させ、湿度を増やした。ぼくは歌手の友人に教わった「鼻うがい」を朝昼晩とやっている。これは食塩水を鼻から吸って口から出す、という荒療治だけど、鼻の奥に塩水が溜まるので風邪菌が鼻奥を通過できないという、なかなか効力のある方法なのだ。確かにこれをやっていると風邪をひかない。最初は鼻の孔、片方ずつから塩水を吸って口から出すのがよいが、慣れてくると同時に二つの孔から吸い上げることが出来るようになる。がんがん塩水を吸い上げて、じゃあじゃあ口から出す。鼻の奥には鼻腔と呼ばれる空域があり、そこにこの塩水が溜まることで外出しても一定時間、殺菌効果を維持することができる。(ただ、ちょっと身体を斜めに向けたりすると、ずずずっ~っと鼻水が出てしまうので、要注意)

それから、フランス人は風邪をひくと、バーでグロッグという酒を飲む。レモン、ラム、熱湯、砂糖で出来たもので、日本だと「卵酒」にあたるのかな。薬局の帰り道、行きつけのバーにたちより、これを飲んだ。身体の芯からぽかぽかしてくる。ぼくは息子ににんにくたっぷりのハンバーグを拵え3個食べさせた。自分のためには生姜たっぷりのスープを作り、息子を先に食べさせてから、食堂を換気した後で、素早く食べた。すべてはライブを成功させるための見えない努力ということで、ご理解頂きたい。
「おーい、体調大丈夫かぁ?」
「パパこそ、風邪、うつってないかぁ~?」
「ありがと~、今のとこ大丈夫だぁ~。なんか用事がある時はSMSくれ!」
「OK、ボンソワレ!」

滞仏日記「フランスの風邪対策と日本の知恵」