JINSEI STORIES

滞仏日記「泣きなさい。人間は泣いていいのだよ」 Posted on 2019/09/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子が高校生活をスタートさせた。日本で生まれていればこの4月から高校生だったが、フランスで生まれたので9月から高一(スゴンド)となった。フランスは始業式とかはないので、いきなり普通の高校生活がはじまる。中学をコレージュ、高校をリセという。高校生はリセアン(女子高生はリセエンヌ)だ。月水金とパリ市のバレーボールクラブに入っているので帰りは夜の21時になる。普通の日でもだいたい18時に。もう、朝ごはんは作ってやってない。離婚したばかりの頃、毎朝お弁当を作っていたことが懐かしい。今は、自分でコーンフレークのようなものを胃にかっこんで飛び出していく。甘やかしちゃいけないと思ったのでそういうルールにした。今日はちょっと飯が余ったので「明日の朝ごはんに握り飯握っといてやろうか」と言ったら、「え、嬉しい」と野太い声が戻って来た。

滞仏日記「泣きなさい。人間は泣いていいのだよ」

174センチくらいはあるが、彼の仲間たちの中には190センチを超える大物が何人かいる。そういうのがうちにしょっちゅう遊びに来るのでチビ父ちゃんはなんかやりにくい。でも、みんないい子たちだ。子供部屋に顔をだすとでかいのが椅子でふんぞり返ってCEOみたいにくつろいでいる。足元に子熊のぬいぐるみのチャチャが転がっていた。手を伸ばして掴んだ。もう濡れてなかった。息子が子供の頃はこれがないと寝れなかった。フランスの子供たちはぬいぐるみとともに育つ。ぬいぐるみを通して大人は子供に世界を教えるのだ。うちの子はこのチャチャがパートナーだった。どこに行くのも一緒だった。そこに人間の人格を与え、子供に社会との向き合い方を教えるのだ。

そういえば、あの子は決して泣かない子だった。離婚をして悲しいだろうと思うが、寂しいと言って子供らしく泣いたことがなかった。それが心配で毎晩、子供部屋の見回りをした。息子が抱きしめていたチャチャを洗濯しようと思って触ったらびっしょりと濡れていたことがあった。あの感触、今でもよく覚えている。この子はぼくの知らないところで泣いていたのだ。でも、その泣き顔を見せることはなかった。家族で生きていた頃、この子はよく喋る明るい子だった。でも、あの日を境に無口になった。何を考えているのか不安になることもあった。でも、見守ることしかできなかった。そして、あの濡れたチャチャ。思わず、ぼくも目元が濡れた。でも、親が泣くわけにはいかない。この子が頑張ってるのに、と歯を食いしばった。

当時、ぼくはツイッターで「子供部屋異常なし」とよくツイートしていた。この異常なしというのは今日は泣いていなかったよ、とぼく自身へ向けた記録でもあった。世界最小の家族が前進するために必要なツイートだった。お弁当の写真は自分を励ますためのツイートだった。そこに百くらい「いいね」が押されると、「ほらね」とぼくはその数だけ自分をほめることが出来た。そして、ついに、小学生だったその子が高校生になったのだ。別に驚くことでも、誇ることでもない。毎日のおかげだと思っている。いいや、そうじゃなかった。チャチャ、お前のおかげだった。ありがとう。そういえば、君も高校生になったね。息子と同じ年に生まれたぬいぐるみだった。忘れていたよ。君があの子を見守ってくれたおかげで、ようやくあいつ高校生になれたんだ。ほんとうに、ほんとうにありがとう。息子が家を出たあとも、ぼくはきみを大事に持って生きるからね。それは約束だ。ぼくたちは家族だ。 

滞仏日記「泣きなさい。人間は泣いていいのだよ」