JINSEI STORIES
リサイクル日記「意外に楽になる、フランス流絶交の仕方」 Posted on 2022/08/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フランス人の絶交の仕方はかなりユニークである。
一度仲たがいするとほぼ復縁はあり得ない。
日本のように悪口陰口を言われ続けるということもないが、絶交はまさに断絶となる。
たとえば絶交をしたら、どうなるのか・・・。
これがフランス人の面白いところで、街角とかバーとかで会っても、目を合わせない。←子供っぽい・・・。
視線が頭一つくらい微妙にずれたまま、狭い歩道とかで、とにかく、めちゃ器用にすれ違うのである。
お互い、もちろん、そこにいることは分かっているのだけど、分かっていても、とにかく、見ないのである。
ぶつかりそうな距離でも、決して視線は交わらない。
フランス人はマジでこういう子供っぽいことをやる。
彼らは断絶をすると視界から相手を消すのだ。
これはぼくのこれまでの経験からだけではなく、他のフランス人からもよく聞くことなので、フランス流の絶交の仕方のようだ。
一メートルくらい近づいても「やあ」もない。
喧嘩したとはいえ、そのケツの穴の小ささに呆れるけど、フランス人のこの態度は「意見の合わない人間と関わらない」という彼ら一流(?)の生き方なのである。
つまり、不仲になると普通はそのことを考えて心が痛む。
しかし、フランス人はその痛む心を持ち続けること自体が無意味だと考える。
だから、視界から消す。
一度仲たがいすると復縁は難しいよ、と渡仏直後に言われたことがあったが、渡仏20年でしっかりそのことを実感することができた。
そこで、こちらも視界から消す。
お互い消えているので、気になることはない。
つまり、心を痛めることも、無理に仲直りをしようとすることもないのである。
寂しい世界だと思うだろうが、それが割とフランス的な人生観なので(あくまで一般的なだよ)、ぼくは郷に入っては郷に従え、でこれを実践しているのであーる。
ずいぶんと前のことだが、フランスの文化庁主宰のパーティがあった。
それは200人ほどのパーティだったが、昔、凄く仲のよかった編集エージェントのLもそこにいた。
ぼくの作品がとある出版社に無断で100か所くらい削除されていることが発覚した時に、仕切りが悪くて、もめた。
ぼくは出版社に抗議し、作品を引きあげることになる。
すると、Lが、「そんなんでフランスで生きていけるのか」というようなことを言った。
その出版社の編集者からの伝言だ、と言ったが、誰が言ったとかより、目の前で言ったLの言葉にしか聞こえなかった。
息子が生まれたばかりのことで、負けるわけにはいかなかった。
ぼくらは激しく言い合いになったものだ。
エージェントなのに、作家の肩を持つこともなかった。
このような人間は断固許せないので、絶交をしたに過ぎない。
なので、そのパーティでも、彼女とは視線がぶつからなかった。
ぼくはその日、ゲストだったので、ぼくがそこにいることは当然Lも知っていて、やって来たのであろう。
もちろん、あいつがいるから行かないというようなことにはならない。まさに、人権の国である。
視界から消すだけだ。
こちらも消しているので、お互い、見えているようで見えてない。それ以上の、もめごとにはならないのが、フランスなのである。
渡仏して間もなくのことだったが、おかげでぼくはフランスでの生き方を学ぶことが出来た。
この方法の良いところは嫌な気分を持って生きる必用がないということ、もめた過去はもう過去のことで今の自分には関係がなくなるという利点・・・。
ただ、ちょっと日本人的には寂しい方法だなぁ、とは思うけれど、強くないとフランスでは生きていけないので、ぼくも実行している。
日本的仲直りというのはこの国では120%ない。
そういう美談を好まない国民性である。
自分を主張し、絶対に自分から譲ることはない、ということ。絶対に許さないという強い気力で生き切る人生、ぼくはフランスっぽくて嫌いじゃない。
ストレスを抱えないで自分のために生きる、それでいいんじゃないのかな。
仮に絶交をして、自分が孤独になっても、それは納得尽くしの孤独だから望むこところだ。
一生は一度、気配りで疲れて一生を台無しにしたくない。
仲直りを目指すことよりも、気の合う仲間と多く出会えばいいだけのことで、合わない人は合わない理由があるのだと思うようにしてぼくはパリで強く生きている。
あはは。ずいぶんと強くなったものであーる。
つづく。