JINSEI STORIES
滞仏日記「フランス人は時間を操る天才だ」 Posted on 2019/08/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリに戻ったのは僕だけじゃなかった。ぞろぞろとパリジャン、パリジェンヌがパリに戻り始めている。9月3日から学校などがはじまるので、誰もいなくてしんと静まり帰っていた路地に活気が戻った。息子はさっそく友達たちと遊びに行ったので、僕は一人でランチを食べに外出することになる。夏の間、ずっと閉まっていた行きつけのカフェに顔を出すと、馴染みのギャルソンたちが出迎えてくれた。
僕は冷房のきいた奥のバンケット(背もたれのあるコーナーの席)に案内された。
「どうだったの? 夏休み」
訊くと、日焼けしきったギャルソンが腹を叩いた。
「見てくださいよ、この腹。三週間も南の島で過ごしたから、真っ黒になってしまって、しかも腹が出ちゃった」
そういえば7月の末からこのカフェ・レストランは休暇に入っていた。レストランが夏の間、約一月休むなんて、日本ではなかなか考えられることじゃない。観光客相手の店なら別だが、フランスのカフェやビストロは、開けても客がいないので閉めてしまうのだ。
「じゃあ、今日からがんがん働けるね」
「当然ですよ。この通り、めっちゃ元気。今日はみんなよく働きますよ」
イキイキしているし、活気がある。これは夏休みのおかげなのだ。夏季の長期休暇が彼らをリフレッシュさせたのだ。
バカンス後のフランス人は見違えるようによく働く。夏休み直前はぐうたらでどうしようもないけど、夏休み明けの仕事の処理速度は見違える。それは長い休暇をきちんととっているからであろう。ワーカホリックな僕も見習いたいけど、働き者の日本人だから、これがね、なかなか休めない。ノルマンディの休暇も相当に休んだと思って数えてみたら中6日間であった。17年もパリにいるおかげで多少は休まなければという意識はあるのだけど、3週間仕事から離れるのはきっと無理だ。そればかりか、僕はノルマンディ滞在中も含め、この夏休みに書下ろしで一冊エッセイを書きあげてしまったのだから。やれやれ。
しかし、いつも不思議なのはフランス人の時間の使い方だ。彼らは本当に上手に時間と向き合っている。休む時は休み、働く時は働いている。短く能率よく集中して働き、気が遠くなるくらい長く休んでいる印象がある。それでも一生は一生なのだ。だらだら残業ばっかりして生きても、サクッと仕事を終わらせて南仏辺りで泳いでいても、一生は一生なのである。僕の知り合いたちは夏には2回から3回、海外旅行をのんびりと楽しむ。知り合いのシェフは3週間、中国、香港、台湾、日本を周遊して昨日、パリに戻って来た。明日の夜から営業開始らしい。一年を通して何度か海外旅行を繰り返している。それが結構普通のことだったりする。この緩急ある時間の使い方が彼らの人生を何度も美味しくさせているように思う。そういう時間との取り組みのために、彼らは『バカンス』という言葉を発明した。バカンスのせいにして、国家ぐるみで遊ぶという寸法である。バカンス力と呼んでもいいかもしれない。この時間を有効に使い、上手に遊ぶ生き方こそがフランスの原動力かもしれない。
長居したので「デザートとコーヒーを一緒に持ってきて、ついでにチェックも」と頼んだら、先のギャルソンが僕の目の前で手を広げ、
「Pas de Panique! (パニックにならないで)」
と大きな声を張り上げた。時間なら湯水のようにあるじゃないですか、ということである。はいはいはい。失礼しました。のんびりさせてもらいます。