JINSEI STORIES
滞仏日記「午前11時47分発、トールーズ行きTGV」 Posted on 2019/08/19 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子がまとめた荷物をチェックした。はぶらし、パジャマ、水着、着替えのTシャツなど二週間分だ。それからオディールには京都のかんざし、ご主人のシリルにはサントリーの山崎を。息子はリュックを担ぎ、トランクを引っ張った。僕らはモンパルナスの駅を目指した。モンパルナスはボルドーなど西へ、北駅はイギリスへ、東駅はルクセンブルグとかドイツ方面へ、サンラザール駅はブルターニュ方面、ゲール・ド・リオン駅は地中海方面へと向かう。パリにはこの5つの大きな駅があり、出かける方向によって利用する駅が異なるのだ。息子はトールーズへ行くので、モンパルナス駅へと僕らは向かった。
息子はロマン君に招かれ、今日から2週間弱、トールーズにあるロマン君の親の別荘で残りの夏休みを過ごすことになる。パリの人たちは田舎に別荘(メゾン・ド・カンパーニュ)を持っている人が多い。フランスは休みが多いので、パリと田舎とで上手に暮らし分けている。パリをただ寝るだけのものすごくコンパクトなアパルトマンにして、田舎はお屋敷みたいな家に住んでいる友人もいる。友人のカメラマン、S氏の別荘はなんとお城だった。この城の管理費はいくらなの? これが僕の最初の感想だった。
フランス人の田舎の家での生活は日本人からすると夢のような暮らしぶりなのだ。渡仏した当初、そのあまりにゴージャスな田舎ライフを目の当たりにして僕は言葉を失った。国民総生産や国土や収入にそれほど大きな差はないのに、この違いはいったい何だろう、と思った。本当にフランス人は生きることを満喫する天才だ。別荘はフランス各地にあって、その素晴らしき二重生活は羨ましすぎる。プールがあり、古い家を改築したおしゃれな家があり、敷地や庭があり、自然に囲まれている。地元の人を管理人として雇っていて、行けばすぐ生活できるように年中整えられている。ため息がこぼれる。僕は今年、八ヶ岳にあった別荘を手放した。渡仏する直前に買った物件だったけど、僕の遊び心満載のフランスの別荘に負けないほどかわいい家だったが、使ったのは30日くらい。行くことがないので可哀そうだから、欲しいと言ってくださる人に手放した。家族のための家だったので、もう必要はない。
ともかく、息子を11時47分発のモンパルナス発のTGVに乗せれば、オディールとシリルがトールーズの駅で待ち構えているという寸法である。僕は友達が少ないけれど、息子は愛されキャラだからこうやって面倒を見てくれる人たちが多い。実は引っ張りだこなのだ。外面がいいので、親御さんたちの受けがいい。日本的な躾をしてきたせいで、挨拶だけはちゃんとできる。育ちのいいお坊ちゃんに見えるのかもしれない。実際は、全くそうじゃないのだけど。笑。
「洗濯は自分でやるように。それからたまには暮らしぶりを連絡しろよ。一応、親なんだから、生息の確認をしないとならない。わかったな?」
「うん」
6号車の67番という席に息子が座るのを見届けてから、僕は踵を返した。そして何か懐かしいメロディを口ずさみながら、ごった返す駅の中を移動した。ECHOES時代の曲「ステーション」だった。僕はモンパルナス駅の中ほどで立ち止まり、周囲を見回した。出かける人、戻って来た人、ここにもたくさんのドラマがある。
駅を出ると12時だった。日曜日なので、この辺で食べて帰った方がよさそうだと思い、駅前にあるクスクスレストランに飛び込んだ。雨だったし、何かあったかい煮込みのようなものが食べたかったのだ。ふと、いつか、僕は一人になるんだ、と思った。
これから二週間、いったいどうしよう、と思った。僕も休んだ方がいい。でも、僕は人気がないので、別荘に誘ってくれるフランス人の友人はいない。ムッシュがクスクスを僕の前に並べ始めた。
「おいおい、僕は一人分を頼んだんだけどね」
それとも間違えて、いつもの癖で息子の分まで頼んじゃったかな。するとムッシュが笑いながら、
「だんな、これが一人分ですよ。モロッコ人の愛をどうぞ。食べきって元気を出してくださいな」
と言った。
僕は思わず笑顔になった。そうだ、モロッコという手があった!