JINSEI STORIES

滞仏日記「ナントびっくり」 Posted on 2019/08/10 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリを離れて三日目になった。息子の恋人君は今日も朝の9時に滞在先の宿にやって来た。「僕に」と彼女の地元のチョコレートをお土産に持って来た。二人は手を繋いで出かけて行った。今日、パパはいろいろと考え事をしたいので、できればここには立ち寄らないように、と伝えて息子を送り出した。9時間も外に放り出すのはどうか、と思ったけど、でも、ちょっと疲れた。映画の撮影などが終わってパリに戻ってすぐのアッシー疲れもある。しかし、一番僕を疲れさせたのは息子の違う一面を目の当たりにしたせいで。恋人と手を繋いで仲良くしている姿を祝福してあげないとならないのだろうけど、なぜか、うかれた感じに腹が立ってしょうがない。昨日はまるで夫婦のようにソファで寄り添っていた。一年近くネットで交際を続けた挙句の出会いなのだから仕方がないと思っていたが、もし自分が同じ立場ならここまでラブラブになれるだろうか、と考えた。でも、時代が違うのだから、ともう一人の僕が僕を諫めた。二人は幸せなんだから、それは素晴らしいことじゃないか、と。じゃあ、この僕のこころのもやもやはなんだろう。親というのは面倒くさい生き物だな、と思った。

一人になって、パソコンを開き、エッセイの続きに、頂いたチョコレートを食べながら、向き合ことになる。84歳の母さんについて、彼女が生きているうちに、彼女の生涯のことを書き残しておこうと思って書きはじめた。彼女は華道、料理、刺繍、木彫り、陶芸などを習い、そのいくつかの指導者となった。とってもユニークな人生を生きてきた。あまりにダイナミックで面白い人なので彼女が生きているうちに出版してやりたいと思いつく。その執筆中、母さんから教わった様々な忠告やアドバイスを思い出すことになり、それが「84歳の母さんが僕に教えてくれた大事なこと」というツイートへと繋がった。もうすぐ、書きあがるけれど、出版社が決定しているわけじゃない。満足するものが書きあがってから、知り合いの編集者に読んでもらうつもりでいるような、漠然とした出版計画でもある。もし、母さんがここにいたら、恋にうかれる僕の息子にどのようなアドバイスをしただろう、と思った。

午後、昼ごはんを食べていないことを思い出し、パソコンを閉じて外出した。僕らが滞在をしているここナント(Nantes)は、フランスの西部、ロワール川河畔に位置し、大西洋への玄関口として重要な貿易拠点でもあり、フランスでは六番目に大きな都市ということになる。世界史で習った、フランス王アンリ4世により「ナントの勅令」が出された場所として日本人には馴染みがある。実に長閑で美しい都市だ。日本でたとえるならば、福岡とか仙台のような立ち位置であろう。日本人やアジア人の観光客はほとんど見かけない。旅行者はイギリス人が多い。ギャラリー・ラファイエットがあるマルヌ通りと大通りを渡ってその先へ続くオルレアン通りがいわゆる日本の銀座や新宿にあたる目抜き通りになる。小さなブティックやカフェやレストランが果てしなく点在している。その人いきれの中に潜み、この見知らぬ街の穏やかな光景を眺めた。夜になると広場という広場、通りのそこかしこが人で溢れかえり、みんなモヒートを飲んでいる。なぜか、モヒートなのだ。

僕はブルターニュ公爵のお城まで歩き、午後はそこの前のカフェで時間をつぶした。これから思春期の息子とどうやって向き合っていけばいいのか、を考えた。なるようになるし、あまり深入りをしてはいけないけれど、彼らが暴走しないように親として見守っておく必要もある。子育てが第二段階に入ることを意味していた。来月から、彼は高校生だ。やれやれ、さらに難しいかじ取りが続く・・・。

夜、19時前に息子が帰って来たので、焼きそばを作って二人で食べた。どうだった? と訊ねると「来月もまた会いに来たいんだ。出来れば毎月」と笑顔でくったくなく言った。僕の笑顔は凍りついた。 
 

滞仏日記「ナントびっくり」