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滞仏日記「人生を開くためのパスワード」 Posted on 2019/08/03 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリの自宅に戻った直後、日本の携帯にメールが入った。息子と二人きりになった時に僕ら父子を陰ながら支えてくれたフランスの友人、もともと息子の家庭教師さんであった。
「辻さん、何度も電話したのだけど、繋がらず、SMSも返事がないので、ついに会えないままお別れになります。辻さんとは楽しい思い出ばかり、お二人と最後にご飯を食べたかったけれど、やむを得ない事情で地元、ウイーンに戻ります。元彼からこのメアドを訊いて、『でも、古いものだから届かないかもしれない』と言われたけど、お礼が言いたかったので、一度送りますね。届かなかったら、・・・残念ですが、8月1日にパリを離れます。エレナ」

8月1日、それは今日のことであった。まだ間に合う。出来れば二人で見送りに行きたい。本当に苦しい時にお世話になった友人だったからだ。すぐに電話をしなきゃと思って携帯を探したのだけど、あ、そうだった、とさらに物凄いことを思い出し真っ青になった。福岡のホテルの部屋から紛失した携帯は業者のランドリーマシーンの中で見るも無残な姿になったのだった。情報は取り出せなかったので、シムカードだけ握りしめてパリに帰って来たのである
「おい、息子。アップルショップに行くぞ!」

車を走らせて、パリ中心部にあるアップルショップに飛び込んだ。けれども、誰に何を話せばいいのかわからない。ブティックみたいな作りで、店員を捕まえて、アイホンを買いたいのだけどと言うが、担当者が来るから待ちなさい、と言われるばかり。うう、時間がない・・・。
「パパ、アイホンってグッチとかシャネルみたいなブランドものだから、こうなるんだよ。待つしかないって」
と息子は冷静に言った。待つこと、30分、やっと笑顔の店員がやって来て、僕らはそれをゲットすることが出来た。急いで家に帰り、ガジェットが得意な息子がサクサクと頼もしく携帯を起動させたのだけど、僕は間違えて、日本の携帯のアップルIDを伝えてしまい、新しいアイホンの連絡先には日本人の名前がずらり。オーマイガッド!しかも、設定を終えた息子は友達のところに遊びに出てしまった。仕方がないので、日本の携帯のラインを使って久留米のHPを作ってくれている通称「博士」と呼んでいる斎藤さんに電話をして事情を説明。「辻さん、まず、初期化しましょう」とやり方を教えてくれた。一度、設定したアイホンを出荷状態に戻し、ここからが大変だったのだけれど、つまり、フランスの携帯のアップルIDを僕は忘れてしまっていたのである。
「辻さん、いいですか、携帯それぞれにIDがあります。思いださないと過去のデータは戻って来ません。思いつく限りのパスワードとか、探してください。普段、よく使っているものじゃないでしょうか。だいたいメールアドレスなので、それを入れてみるしかないですね」
僕は頭を抱えた。だいたいのパスワードは記憶しているし、メモしているものもある。でも、こんなに長く生きてきた人生すべてに関わったパスワードを覚えていられるわけがないし、、そもそも、なんでこんなにパスワードばかりが存在するのか、と頭を抱えた。僕は途方に暮れながらもこつこつとパスワードを埋めていった。何回も何回も拒否された。エレナは幼かった息子にとってはお姉さんのような役割を果たした子。僕が忙しい時にはよく息子の遊び相手にもなってくれた。若くして結婚をしたが、いろいろとあって、二人は離婚をした。旦那さんだったステファンとも長い付き合いになる。なんとか、見送りに行ってあげたい。
「あ、まさか!!」
僕は母さんの誕生日をパスワードに入れて見た。するとそれが開いたのである。ところが、ところが、携帯の番号は古いのを再び使えるようになったが、連絡先の電話番号は全部消えてしまっていた。
「辻さん、方法があります。かつて、itunesでバックアップを取ったことはないですか? 何機種化前のアイホンでも大丈夫です」
「いや、博士、僕はロートル人間だからitunesなんかに同期させたことはありません」
「でも、昔のパソコンで一度くらいやっている可能性があります。諦めないで」
博士の諦めないでの一言で僕は再び頑張ることになる。地下室に行き、古いパソコンを3台持って上がって来て、一つ一つを調べたところ二代前のソニーのVAIOの中にバックアップの履歴を発見した。博士に手伝ってもらい、急いでバックアップの準備を始めた。するとまたパスワードが立ちはだかった。思いつく全てのパスワード、つまり知っている家族の誕生日を、母さんのも、弟のも、いれたが開かなかった。あと一歩なのに、とうなだれ、ソファにへたり込んだ僕の頭の中に、父さんの誕生日・・・、ええと、いつだったっけ、思い出せない・・・。父さんの誕生日。とりあえず僕はあてずっぽうで入力してみることになる。10月の・・・・
すると、なんと復元が始まったのである。思わず声が飛び出し、ガッツポーズを。

しかし、結論から言えば、このVAIOに残っていたのは日本の携帯の過去のものだった。つまり、こんなに努力したのに、僕はエレナを見送ることが出来なかったというオチ。ま、仕方ない。とりあえず、そういうこともあるのです。これを教訓に、今日から全てのパスワードをノートに記しておくことにする。フランスの携帯に、再び一つ一つ電話番号を入力する日々がはじまる。
 

滞仏日記「人生を開くためのパスワード」