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滞仏日記「なぜ、僕は名刺を持たないのか」 Posted on 2019/07/31 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今回の東京滞在中もまた多くの人と出会った。何か新しいことをはじめようとすると、人間と出会う。生きていれば出会う人も途切れることがない。社会と向き合っていれば、当然、誰かと出会っていく。わずかひと月の滞在だったが、結構なお名刺を頂いてしまった。僕の場合、名刺を持たないので、「すいません。名刺がなくて」といちいち言わないとならない。「いえいえ、辻さんは大丈夫です。持つのもおかしいですよ」と言われてしまう。考えてみれば、特殊な職種である。

今日も10枚ほどの名刺を手渡された。企業の社長さん、僕なんかよりも大先輩にあたる大学の偉い教授さん、画家、レストランのシェフ、大きな学園の理事長さん、若いデザイナーさん、アーティストさん、編集者さん、レコード会社のディレクターさん、テレビ局の方、バーテンダーさん、保険会社のセールスマンさん(老後のために、そろそろ備えませんか? と)。その方々に、軽く頭を下げながら、「すいません。名刺がなくて」と言った。「いやいや、辻さんは顔が名刺ですから」と言ってくださる優しい方もいた。しかし、日本のような名刺社会で、名刺を持たないで仕事をしていることに最初は何かうしろめたさみたいな罪悪感ではないけど、取り残された感を感じたこともある。僕はもしかしら社会勢力には入ってないのじゃないか、と思ったりして、ふっとはやりの吉本の芸人さんの顔を思い浮かべたりした。皆さんのように名刺を持ちたい、と思わない日はないし、たまには名刺があればな、と思うタイミングもある。どこかのレストランの経営者さんがご自分の店の名刺(僕の名前入り。顧問と書かれてあった)を100枚勝手に作って下さったこともあったけれど、ちょっと待った。「これ、どうしろっていうんだ! 配ったら、宣伝になるやないか!!!」笑。

今回、どうしても仕事上、名刺交換をしないとならない方がいたので、仕方がないので僕は文庫「海峡の光」の最初のページに電話番号とメアドを書いて渡した。たまに使う苦肉の策なのだけど、一生こんなんで本当にいいのか、と悩んでしまう。個人事務所は持っているので、そこで名刺を作ればいいことだが、作家で、ロッカーで、詩人みたいな僕が名刺を作ったら、そのなんと嘘くさいことか! そもそも、名刺が嫌いなのかもしれない。腕時計さえ一度もつけずに生きてきた変わり者なので、息子が15歳にして毎日腕時計を付けているのを横目で見て、こいつは社会的な人間でよかった、とか思っている父なのであった。

ともかく、パリに帰ると、名刺ファイルがないので大きな木箱(インドの古い木彫り柄の立派な木箱である)にまたどさっと名刺がたまっていく。名刺って、お守りのように捨てられないので困る。そして、その箱を見下ろしながら、こんなにたくさんの人と出会ったんだ、と不思議な気持ちにもなる。そのうち、何人と知り合いになり、何人と仕事をして、何人のことを覚えているのだろう、と思った。出会いというが、名刺がなくても繋がっていく人がいる。僕はラインをやっているけど、ラインを交換しても、80パーセントくらいの人とはメッセージの交換をしていない。その人がだれか、思い出せないものだから時々、何年も動いていないのであれば、「退出」させていただいている。

僕が名刺を持たないのは失礼なことだろうか? 時々、社会的ではない自分に恥ずかしくなる時もあるのだけど、でも、60年もこうやってきたのだから、もう最後まで名刺を持たないでもいいのかな、と思う時もある。名刺に代わるものを作ってもいいのかもしれない。名刺サイズの自己紹介ミニ本とか、きっと喜ばれるだろう。僕の簡単なストーリーが載っていて、歴史、半生、ツィートのような言葉とか、最後のページに連絡先と電話番号が・・・、あ、でも、これなら売って商売にした方がいいじゃないか。だって、僕は作家なのだから売れるものは売って生きていかないと。名刺サイズのミニ本は売れるかもしれない。うーむ。悩む年ごろだ。
 

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