JINSEI STORIES

滞仏日記「父子旅はどこへ向かうのか」 Posted on 2019/07/29 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリから一人で日本にやって来た息子と再び東京で合流した。彼はこの一月間、福岡のおばあちゃんの家で二週間、大阪のお友達の家で一週間、そして埼玉の親戚の家で数日過ごした。仕事現場にふらりと顔を出したり、ユニバーサルスタジオに行ったり、心斎橋筋商店街や上尾の駅前、博多駅の地下街などを楽しんだようだ。あと数日したら僕らは空港で待ち合わせパリに帰ることになっている。思えば、僕ら親子くらい世界中を旅した父子はいないのじゃないか、と思う。

僕は日本の免許証は更新のど忘れで失効してしまったが、国際免許証を持っているのでこれで車を借りて地の果てまで出かけている。アイスランドで借りたマツダの四駆で氷河を見に行った。残念ながら氷河までは辿り着けなかったけれど、好きな音楽を聴きながらの父子旅はただどこかへ向かうというだけでもとってもダイナミックな感動と記憶と経験を二人にもたらした。親子ってなんか会話が必要だとかよく聞くけど、僕はそれほど重要じゃない気がする。それよりも、どこかへ二人で出かける距離や時間や存在感の方が大事だと思う。ここじゃないどこかへ、が大事なのだ。

この前、どこだったか忘れたけれど、旅先のトルコレストランで隣にカナダ人の父子が座った。何を注文したらいいのか困っていたようなので、おせっかいとはわかっていたがフランス語よしみで、トルコ料理好きの僕がチョバンカウルという羊と野菜の炒め料理を教えてあげた。
「え? 君たちフランス人?」
「いや、日本人」
「なんでフランス語喋れるの?」
「パリージャだから。(冗談で、イタリア語で返した)笑。」
「僕らはケベクワだよ。(ケベック人のことをケベクワという)」
そこから意気投合して、お互いなんで父子旅をしているのかという話になった。僕らは二人きりになってから、気を紛らわしたり、日常の変化や、気持ちの整理のために世界中を旅するようになった、と僕が説明した。息子はあまりこういうことの説明をしたがらない。そこがあいつのいいところだ。ペラペラしゃべるのが僕のオヤジなところかもしれない。すると、カナダ人の子供、(息子より二つ下だった)が、カナダ訛りのフランス語で、
「僕らは母さんが天国に行って、それから、同じように旅を始めたんだ」
と言った。
一瞬、僕と息子は目を合わせてしまった。その瞬間、4人の間に、何とも言えない不思議な感情の輪が生まれた。でも、それ以上の会話は必要なかったので、僕は頷いて食事に戻った。帰りがけに、いい旅を(ボン・ボワヤージュ)と言い合った。もちろん、自然な笑顔で。

僕らはスペインの大西洋側の海辺で、人生について少しだけ語り合ったことがある。僕はそこで打ち寄せる波を見つめながら、人生とはこんな風に行ったり来たりだ、と言った。夕陽が海の向こうに沈みかけていた。
「パパ、でも、僕はきっとこの景色を忘れないと思うな。何か、この堆積していく時間というものが僕をこうやって育てていると思うから」
彼はフランス語でそういうことを言った。「堆積」というフランス語が分からなかったので、あとで辞書で調べたのだけど・・・多分、積み重なっていく父子旅の痕跡のことを言いたかったのだと思う。何万キロと僕らは旅をした。ハワイには二人で行ったけど、まだアメリカ大陸には渡ったことがない。いつかカナダ、アメリカ、メキシコ、ペルー、アルゼンチンあたりを移動してみたい、と思った。
「来年、海を渡って向こうの世界に一緒に行こう」
と僕が提案すると、息子は笑って、
「いや、それはちょっと・・・」
と言った。
「実は僕、来年から仲間たちと何度かに分けて、アメリカを横断する計画があるんだ。パパとの旅は卒業して、高校生になったら仲間たちと回りたい。いいよね?」
「仲間じゃなくて、彼女だろ?」
息子は笑った。僕は嬉しかった。こうやってこの子は世界を知り、世界へと旅立っていく。悲しみや苦しみは旅をする中で薄まっていくであろう。この数年の旅の記憶が僕ら辻家の素晴らしい、もしかすると父子旅の最後の思い出になるのかもしれない。
 

滞仏日記「父子旅はどこへ向かうのか」