JINSEI STORIES
リサイクル日記「パリで生きるために必ずできなければならないこと」 Posted on 2022/08/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、とにかく、フランス、とくにパリでは、車の駐車が難しい。
前の車との間が5センチ、後ろの車との間が5センチなんてのはざらにある。
じゃあ、どうやって、駐車するのか???
これが問題で、上手に駐車できないと、この国では生きてはいけないのである。
マジで。
パリで暮らしだして約20年もの歳月が流れたが、一番うまくなったのはフランス語でもフランス料理でもなく、実は、車の縦列駐車だった。
とにかく、牡蠣を剥くことと縦列駐車のこの二つはフランスで生きていく上でとっても重要なことである。
何せ前後の車との間に5センチしか隙間がないようなことはしょっちゅう。
どうやってこの車をここに入れたのか、と思うようなまるで隙間のない駐車も、ここで運転していると自然に出来るようになる。
そもそも車が多すぎて駐車スペースがない。
なのでちょっとでも空いていたらなんとしてでもそこにいれるしかないのだが、フランス人は見事なハンドルさばきで縦列駐車をやってのける。
僕も在仏ドライバー歴が約20年になったので、相当な技術を持っていると自負している。
でも、最初から出来たわけじゃない。
試行錯誤の連続であった。
フランス人の強者は、車よりも駐車スペースの方が狭かろうと見事に停める。
なんのことはない車を車で押すのだ。
「バンパーはそのためにあるんだよ」と教えられて、僕はのけ反った。生真面目な日本人にはそういうことが出来ない。
なので僕は前後に5センチほどの余白がない限り車を入れないが、こちらの人は少しずつぶつけて、車を押して割り込ませる。
なので、傷つけられたくない人はサイドブレーキを引かないで駐車している。
当ててくる奴らばかりだからサイドブレーキをかけていると車が傷つくのだ。
駐車枠の中に入れていても、押し出されていることもあるので、気を付けないとならない。
頭から突っ込んで駐車するのは賢い方法じゃない。
まず、スペースの先で停車させ、バックで入れるのだが、ハンドルを思いっきり切って90度に近い角度でお尻からスペース中央に突っ込み、ぎりぎりのところでハンドルを戻し、・・・を繰り返して入れる。
前後に五センチ程度のスペースしかなくてもこの方法なら3回程度の切り返しで駐車することが可能だ。
これがすっと出来るようになるまでに数年、いや十数年かかった。
ビビっているとぶつけるし、後ろの車にクラクションは鳴らされるしで、とにかくスマートに駐車できないドライバーはフランスで運転するのはかなり厳しい。
見事に入れたとしても用事をすませて帰ってくると前後の車が変わっていて隙間がゼロということもしばしば、ありえる。
こういう時は仕方がないので、ぶつけて出すしか方法がないのである。
しかし、こういう状況は普通なので、あえて、サイドブレーキを引いてない人がいる。
車を傷つけられたくないからさ。
ぼくがパリに移り住んだ当初、知り合いのフランス人に、路駐するなら、サイドブレーキは絶対引くな、と教えられた。
「なんで?」
と聞くと、
「スペースがない空間から車を出す時は、みんな、必ず、ぶつけないと出せないので、サイドブレーキを引いていると、車が傷つけられるんだよ」
と教えられたのだ。
なるほど・・・
つまり、サイドブレーキを引いてないと、車が動くから、難を逃れることが出来る。
( ^ω^)・・・
なので、車を出す方は、サイドブレーキが引かれてない方を確認してから、・・・その場合は、ちょっと降りて、前後の車を押してみる。
動く車は、サイドブレーキが引かれてない、のである。笑。
サイドブレーキを引いてなければ、車は動くので、傷つかない、という理屈だ。
残念ながら、前後、両方ともサイドブレーキが引かれている場合は、出すことをあきらめるか、静かにぶつけて出すしかないのが、フランスの現状である。
「ええ? ぶつけるの?」
と言ったら、知り合いは、
「だって、そういう駐車されたら、押して出すしか、他に、方法ないでしょ? レッカー車なんか来てくれないよ」
と教えられた。
これがフランスである。
両方ともサイドブレーキが引かれている場合は後方の車の方が出しやすいが、そのくらいのことで車が実は傷つくことはない。
確かにバンパーというものはよく出来ているし、5センチ程度の隙間が出来れば出すことは可能である。
そもそもフランス人は慣れているので車はそういうものだと思っているし、傷付けられたくない人はギアをパーキングに入れ、停めている。
ただ、日本のように駐車場がそこかしこにあるわけじゃないので、いい車に乗っている人は多少神経を使っているかもしれない。
だからかこの国では滅多にスーパーカーを見かけることがない。
きっと、乗りたくても縦列駐車が怖くて乗れないのだと思う。
フランス人の縦列駐車の技術の高さはそのままフランス人を知る上でのいい経験となった。
どのような環境であろうとそこに見事に入り込んでいくフランス人の社交術や政治力は縦列駐車のおかげで培われた技術かもしれない。
ほとんどない隙間にすっと割り込む縦列駐車が得意になると多少のことではめげなくなる。
大事なのは、そこに切り込む度胸と角度だ。
実際には角度!
潔く切り返せないものは駐車できない。
まるで人生の教訓のようではないか。
愛車が前後の車とぴったりくっついて見事な駐車を決めた時、僕はこの国で生きていけると自覚することが出来た。
時々、歩行者の人から拍手喝采を浴びることさえある。
とにかく、フランスで車を運転する人は、まず、この縦列駐車が出来ないと話にならない。
これはかなりの、まるで人生のように、至難の業なのである。