JINSEI STORIES
滞仏日記「自分の将来について考え始めた年ごろ」 Posted on 2019/07/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子と連絡がつかない。試験も終わったので日本に行くというメッセージが入っていたけど、それっきりである。いつのころからか、息子は親が付き添わないまでもたった一人で日仏の往復が出来るようになった。渡航許可証に僕はサインをして彼に持たせている。それさえあれば未成年でも一人で日仏の行き来は可能なのだ。英語、フランス語日本語が出来るので迷子になる心配もない。で、「パリにいてもしょうがないから、ババに会いに行く」という連絡が入った。マイレージがたまっていたのでサイトで取り寄せ、二次元バーをダウンロードして彼のワッツアップ(仏版ライン)に送った。それを持っていれば飛行機には乗れる。(ものすごい時代じゃないか)
僕も家離れ、親離れが早かったが、この子はさらに早い。僕が映画の撮影に入ったせいもあり、こまかく連絡できなくなったことをいいことに、どうやらこの一週間は仲間たちと遊び歩いていたようだ。ま、成績も悪くないし、中学卒業試験も無事突破したから、それに夏休みだし、好きにさせてやりたいのだけど、せめて、頻繁にどうしているか連絡がほしいところである。僕は仕事の合間にしょっちゅう小まめに状況確認をしているが、返事が戻ってくることは滅多にない。
「どうしているの?」
「毎日、何してるか、一応、教えてほしい」
「おーい」
「生きてるのかぁ?」
「いったい何やってるんだ? 返事くらいしなさい!」
「そんなことじゃ、もうお小遣いやらないぞ」
と最後にちょっと厳しいメッセージを送ったところ、
「おこづかい、たりてるよ」
とひらがなで返事が午後に届いた。わざと既読にしてないだけなのか・・・
夜、打ち合わせが終わって家に戻ると珍しく着信に息子から連絡が入っていた。彼の場合、何か用事がなければ電話をかけてこない。だから、ちょっと身構え、慌てて、かけ直した。
「どうした? 何か問題あったか?」
「いや、別に。ただね、友達のセレステが高校に行かないでアート系の学校に行くことになったんだ」
どうも、何かの催促の電話じゃなさそうだ。親の意見を求められている。ソファでごろごろしていたけれども、椅子に座り直し、真剣に聞いてやることにした。
「ぜんぜん、知らなかった。知ってたら、アート系の学校に行ってみたかった。いつか、アート系の仕事したかったよ」
「でも、アートの学校を卒業しても、フランスでは将来就職先探すの結構大変だよ。アーティストになってもそれで食べていける人は世界広しといえど一握りだ。そこまでの才能が君にあるかどうか、わからない、それに親戚もいない欧州で君が生きていくには何か資格があったほうがいい。仕事も親戚もない将来はちょっと不安じゃないか?」
息子は考え込んだ。他の子たちは将来何になるって言ってるんだ? アレクサンドルや、ウイリアムや、ティボたちは?
「なんかね、アモリが弁護士になりたいって言い出した」
「あ、それ、めっちゃいいじゃないか。前から言おうと思っていたんだけど、君にも向いてると思うよ。会社勤めとは違うし、社会性のある立派な仕事だよ。君は成績もいいし、何より正義感が強いし、環境問題とかへの関心も強く、ボランティアなんかにも興味がある」
ここから思わぬ長話となった。息子が珍しく真剣に聞いているので、僕も真剣になった。
「日本の企業や個人がフランスで起業したいと思えば必ず優秀な現地の弁護士が必要になる。日本の企業はまず、フランス側の弁護士を探さなければならない。日本語の出来るフランスの弁護士は重宝されるだろう。そもそも日仏の架け橋になって働くこともできる。仕事は山のようにあるだろうが、日本語が喋れる弁護士はちょっとしかいない、引く手あまたな業界じゃないか、と思うよ。弁護士は盲点だったな。それに君は地球の温暖化など環境問題にもいろいろ関心がある。そういうこと専門の弁護士になることも出来る」
息子はちょっと考え込んで黙ってしまった。真剣に考えている証拠である。フランスの場合、中学高学年から高校生一年くらいまでの間で将来自分が進むべく道を決めなければならない。思わぬことから彼の将来の一つの選択肢が飛び出してきた。いやだったら即座に、無理、と否定するので、考え込んでいるというのは脈がある証拠である。弁護士か、悪くないな、と僕も思った。何か一つでも将来の選択肢が出現した意味は重要であった。