JINSEI STORIES
滞仏日記「熱波のパリで、綱渡りの人生」 Posted on 2019/06/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、三日後に迫っていたフランス版、全国共通一次テストのような中学卒業試験(Brevet)が40度になるという熱波のせいで翌週に突如変更になった。前代未聞の事態で、そのせいで日本行きの航空券を取得していた僕らも含め、試験の翌日から夏休みのバカンスに突入しようとしていた家族はパニックになった。その上、40度を超えるとされた予報はその後、32度まで下がっている。
前日失敗した息子の通行許可証(document de circulation、一時的パスポートのような効力を持つもの)の更新手続きを夕方に控えながら、一方で中学卒業試験(ブルベ)の日程が7月頭にずれ込むという異常事態が発生したことへの対応に追われる。調べたところブルべがはじまってから初めての出来事らしく、前例がないせいで、フランスの文科省も学校関係者も混乱が続いている。フランスのトップニュースになっていた。
これまでの時系列を簡単に整理すると、
※ 息子の通行許可証の更新手続き
※ その三日後、全国中学卒業試験、二日間
※ その翌日、僕と息子は日本へ
※ 僕はそのまま映画の撮影に突入
というスケジュールが組まれていた。航空券は購入済み。ところが、
※ 滞在許可証の再更新手続き。
※ 卒業試験が7月頭に順延、が決定
※ パリの親御さんたちから不満続出
※ でも、息子は一人でパリに残らざるを得なくなった
※ それでも僕は仕事で日本に帰らなければならない
というのが今朝の状況である。
いくら電話をしても、学校側は対応の仕方が分からないからか、居留守状態。卒業試験を9月に追試という形で受けることが可能になる、というニュースも流れた。しかし、その結論を待つことはできないので、息子を預かってもらえる家庭を探し始めた。真っ先に思いついたのはリサとロベルト。結局、こういう時に、一番頼りになるのはいつもこの二人だ。でも、逆を言えば、いつもいつも彼らに迷惑をかけてしまっていることになる。「わかった。ちょっと待っていて、私たちも今、遠距離状態でいろいろと抱えていることがあって、でも、すぐにロベルトに相談をしてみるわ」とリサが言ってくれた。ロベルトは今、ミラノに単身赴任中だ。パリとミラノを行き来する生活をしていて、それが彼らに新しいストレスを持ち込んでいる。そこに息子を預けなければならない。申し訳ないけど、息子が心を許して長期間滞在できる家はそこしかない。
昼食を食べた後、息子とシテ島の警察署へ向かった。前日は4時間半もまたされたけど、今日はすんなりと窓口に通された。書類をすべて提出し、待つこと五分、突然、昨日のマダムがやって来て、書類に新たな疑問点が見つかったので、と言われた。不意に胃が痛くなる。日本の離婚は親権をどちらかが持つので、親権を持つ僕が一人でこの申請をすることが出来るはずだった。しかし、フランスの場合は離婚しようが両親に親権があるので二人が揃わないと許可が下りない。要は、僕が親権者であるという証明をしてほしい、ということだ。前もって弁護士の先生に書いてもらっておいた日仏の親権の違いについての書類を提出し、法定翻訳した謄本のその箇所を僕がフランス語で説明し、その間、息子には席を外してもらうことになる。そして、待つこと30分、新しい通行許可証が息子の手に渡ることになった。実は、この許可証の更新が今年一番の心配ごとでもあった。今後、彼がこの国の大学へ進学し、この国で仕事を得るために、非常に重要なタイトルでもあるからだ。(実は何か月も取得に時間がかかると思っていた。偶然が重なったということもあるけれど、手続きの翌日に許可証を取得というのは在仏18年ではじめての経験で、きっと在仏日本人の皆さんは驚かれるだろう。人生に振り回されているけれど、たまに人生に救われることもある)
警察署を出たところでリサから電話がかかった。
「ヒトナリ、安心をしてね、私たちいつものように彼を預かることができる。ロベルトの部屋をあの子に貸すから、そこで気兼ねなく勉強もできる。あなたは何も心配しないで映画に没頭して。いい作品が出来たらまたみせてね、期待しているわよ」